海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

民主主義の埒外

2011-10-26 23:06:14 | 米軍・自衛隊・基地問題

 10月26日の沖縄のメディアは、パネッタ米国防長官と野田首相、玄葉外相、一川防衛相の会談を大きく取り上げている。
 辺野古新基地建設に向けて、環境アセスメントの評価書を年内に県に提出し、埋め立て承認申請などの手続きを急ぐ。仲井真知事や稲嶺名護市長が何を言おうと、あるいは県議会や市町村議会で反対の決議がどれだけあがろうと、知ったことではない。沖縄の民意など踏みにじっていい。これが日米両政府にとっての民主主義らしい。
 いや、日米両政府にとっては、沖縄は民主主義の埒外にあるのかもしれない。沖縄で民主的にやろうとすると前に進まない。だから力にものを言わせる。知事が言うことを聞かなければ特別措置法で埋め立て権限を奪えばいい。反対運動は警察や自衛隊を使って弾圧する。工事を邪魔する者はかたっぱしから逮捕し、国家権力を見せつけて県民を萎縮させ、無力感を味わわせて国に隷属させればいい。どのような混乱が起ころうと力で押さえ込んでみせる。
 野田首相や玄葉外相、一川防衛相はそこまで腹をくくっているのだろうか。本人たちは否定しても、パネッタ国防長官との会談を実行に移そうとすれば、最後はそこまで行き着く。
 沖縄側がどれだけ論理を尽くして説明し、要求しても日本政府は聞く耳を持たない。普天間基地問題は、政府の沖縄差別の象徴である。沖縄では今、そのような不満、不信、怒りが鬱積している。そういうなかで政府が建設を強行するのは、新しい基地を造るだけでなく、沖縄への差別を肯定し、ウチナーンチュの尊厳を否定することをも意味する。その屈辱に耐えられない者は、政府に対峙して立ち上がるしかない。
 普天間基地問題はたんに「移設」先をどこにするかという問題ではない。沖縄を民主主義の埒外に置き、日本の平和と安全を保障する手段として利用してきた沖縄差別の問題に、日本政府、日本人がどう向き合うかが問われている。日米安保条約の問題とともに、そこから目をそらして米軍基地を押しつけ続けることは許されない。


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