二日目 ヘルシンキ
エストニアの首都 タリンへ 世界遺産タリン市内観光
ヘルシンキの朝 Crown plaza hotelを出る
タリン
Tallinn
タリンは中世の町並みが残る、パッチワークの様な都市です。800年もの歴史を誇るこの町には、ロシアのツァーリ時代に栄えたカドリオルグ地区など、旧ソ連時代を思い起こさせる遺跡や自然も多く残されています。そうした歴史的建造物が保存されたタリン旧市街は、1997年にユネスコ世界遺産に登録されました。
美しい町並みでありましたなぁ。
市電がいくらでも通っていて、かなり便利でありました。
自由に乗ってデパートとか、スーパーに買い物に行ってまいりました。
ツアー仲間は、全員旅のベテランだったから(^_^)。
現地ガイドのエリンチャンという27歳の女性は、ヘルシンキ大学の日本語学科を出て、さらに大学院修士課程で学んだ俊秀。日本の大東文化大学にも留学経験ありとのことであったから、話に花が咲きましたよん。
そしてヘルシンキからフェリーでタリンに渡る。
アレクサンドル・ネフスキー大聖堂
タリンのアレクサンドル・ネフスキー大聖堂は、エストニアのタリンにある正教会の教会である。帝政ロシアの一地方にエストニアが組み込まれていた1894年から1900年の間にミハイル・プレオブラジェンスキー(Mikhail Preobrazhensky)によって典型的なロシア復古主義のスタイルに設計され建設された。アレクサンドル・ネフスキー大聖堂はタリンにあって最大かつ最重要の正教会のクーポル付き大聖堂である。大聖堂は、チュド湖上の戦い(氷上の戦い・その戦場は現在はエストニア領内である)で1242年に勝利したネワの聖アレクサンドル(聖アレクサンドル・ネフスキー)を記憶している。現在のロシア正教会の首座主教である総主教アレクシイ2世の教会における奉職は、この大聖堂で始まった。
大聖堂の内部
アレクサンドル・ネフスキー大聖堂はトゥームペア(Toompea)の丘に建っている。伝承によればこの丘には、エストニアの民族的英雄であるカレヴィポエグ(Kalevipoeg)が葬られている(但し、エストニアには彼が葬られていると同様に伝承されている場所は他にも数多くある事は指摘しなければならない)。大聖堂は多くのエストニア人からロシア支配を想起させるものとして嫌われている。エストニア当局は大聖堂の破壊を1924年に計画したが、実行に移される事は無かった。1991年、ソ連が崩壊してエストニアが独立を回復すると、大聖堂は綿密な修復を受けた
トーンペア城
エストニアのタリン歴史地区西部トームペアにある丘の上の城。
11世紀までにエストニア人は木造の城を建設した。13世紀、リヴォニア帯剣騎士団が占領して本格的な要塞建設を開始し、18世紀末までの改修で現在のような外観となった。20世紀末にロシアから独立して後は、エストニア国会の議事堂として使用される。
ラエコヤ広場 美しい町並み
ラエコヤ広場 & 旧市庁舎
Raekoja plats & Tallinn Town Hall
町の中心であるラエコヤ広場。かつて、市場や祝い事に使用されていましたが、ここで処刑が行われたこともあると記録に残されています。広場の中央には、バラのコンパスが彫られた丸い石があります。ラエコヤ広場にあるゴシック様式の建物がタリンの旧市庁舎です。旧市庁舎は1402年から1404年にかけて建造され、北欧最古のゴシック建築と言われています。この建物に付随した塔の高さは65メートル。その先端には、旗を持った番兵の像があります。この像は「トーマスおじいさん」と呼ばれ、タリン市民に親しまれています。
(c)Jaak Nilson
ラエコヤ広場
(c)Jaak Nilson
夕食「サ―モンのグリル」 美味かったです(^_^)