戦後70年に学ぶ

ミャンマー白骨街道のいま

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制作・著作 読売新聞

太平洋戦争の中でも最も無謀な作戦といわれた「インパール作戦」。飢えやマラリアなどの病気で消耗した兵士たちがばたばたと倒れた退却路は「白骨街道」と呼ばれた。その1ルートで、長らく外国人の立ち入りが規制されていたミャンマー西部チン州の「ティディム道」に入った。現地では、戦後70年たった今でも旧日本兵の遺留品が数多く残され、日本に帰れない遺骨が眠っている。

インド東部インパールに続くチン州北部の「ティディム道」は旧日本兵が敗走した「白骨街道」のルートの一つ

インド国境付近の拠点となるトンザン町。山の斜面に張り付くように家々が並ぶ

インド国境から約10キロにある山中に、日本軍の戦車の残骸がひっくり返った形で残っている

胴体部分しか残っていない戦車。他の部分は鉄くずとして売られてしまった

砲塔部分の丸みなどから、この戦車は旧日本軍の「95式軽戦車」と見られる

別の場所には、戦車の砲塔だけが残っている。特徴から旧日本軍の「97式中戦車」だと思われる

近くには砲弾と見られるものも落ちていた。いまだに山中で遺留品が発見される

近くの村では、戦車の走行用ベルトが、水たまりよけとして利用されていた

ティディム道の沿道にある村を訪れると、数多くの旧日本軍の遺留品を見せてくれた

「イナバ」と名前が刻まれた飯ごう。紛れもない旧日本兵のものだ

底に「九八」と漢字が刻まれた水筒

旧日本軍の星章が付いた鉄帽

カンサウザン村に住むラムザチンさん(84)は今でも「ヒコーキ」という日本語を覚えている

祖父が覚えていた日本の歌を書きとめたランカンパウさん(64)のメモ

少数民族のゾミ族は現地で旧日本兵の遺骨調査を行っている。伝統衣装を着て踊りを披露してくれた

ゾミ族の事務所に、旧日本兵とされる遺骨が保管されている。頻発する山火事から守るための措置

事務所には銃などの遺留品もいっしょに保管されている

日本軍の軍刀や銃剣に混じり英軍のものもあった

ティディムにある教会では、砲弾を鐘がわりに使用していた

旧日本軍の手りゅう弾をランプ代わりに村人が使っていた

人骨といっしょに出土したという成田山のお守り。現地の人がスマホで撮影していた

「私はキムラさんと恋仲だった」と話すドラチさん(87)。「戦争が終わったら戻ってくる」と撤退していった

激戦地だったティディム道には、英軍の戦車の残骸も残る。旧日本軍のものとは大きさや装甲の厚さが違う

戦車の特徴から、英軍のM3中戦車だと見られる

敗走する旧日本兵を阻んだチンドウィン川。雨期の濁流で流された兵士も多かったという

白骨街道に眠る旧日本兵の遺骨。いつになったら祖国へ帰還できるのだろうか。

【取材・撮影】読売新聞東京本社写真部 川口敏彦【制作】東京本社メディア局企画開発部・堀田 梓 荒木田 美咲
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