上智大学神学部の実態とは | 『ホームレスのホスピス』きぼうのいえ 山本雅基施設長のブログ

『ホームレスのホスピス』きぼうのいえ 山本雅基施設長のブログ

日本で初めて「ホームレスの人でも入れるホスピス」を東京の通称山谷地区に作って11年。きぼうのいえではなく「むぼうのいえ」だと揶揄されながらも運営してきた日々のエピソードを語ります。

僕の母校である上智大学神学部は、一度社会に出た人が熟慮の末に入学する場合が大変多く、18歳にして受験の百戦錬磨のプロのような進学校に通い、高校2年までに3年分を学んでしまい、加えて有名な予備校に通うといった人たちが入学する大学や他の学部に比べると、さほど偏差値は高くないのが実情であった。けれども歴代、人間的に優れ魅力的な人材を輩出してきた事実は、上智大学の教育のありかたを考える上で大切なことだと思う。神学部の学生たちは、内輪で自分たちのことを「上智大学の特別支援学級」などと呼んでいる。それはある種の開きなおりで、実は自分たちの「人間力」には自信があるという面を裏に秘めている。



また神学部は驚くべきことに、学年によっては学生よりも教える先生の数の方が多い、普通の大学では、レポートを学生が出すのを先生が悠然と待っているのであるが。上智大学神学部では提出期限が近づくと、なんと先生から学生に「レポートの準備はできたか?」と電話がかかってくる。懇切丁寧というか、うれしいような、つらいような気持ちにさせられた。


また、学生もいい歳の大人が多いので、修道会などで任命されている仕事が忙しくて、レポートを書くことが出来ないでいると、先生に向かって

「そんなこと言われたって、無い袖は振れないよ!」

などと開き直りなおる人もいた。また、社会人として厳しい訓練を受けてきた人もいるので、いい加減な講義をする教授がいると、学生のほうから厳しいクレームがつき

「あなたは、私の求めている内容にも、また質問にも誠実に答えていないではないか!」

と言って詰め寄る学生がいたりする。


また通常の学期ごとの試験では筆記試験のほかに、特徴的なのがオラーレ(口頭試問)の存在だ。これなどは、マスプロ教育の大学などではとても出来ない方法だと思うが、ひとりあたり15分の時間が与えられて、先生の質問に答えるというものだ。僕もオラーレを受けて、いきなり旧約聖書の先生から

「旧約聖書における呪いと祝福について述べなさい」

と問われて、しどろもどろになり汗だくになって15分が経過すると、先生は

「タイヘン、ゴクロー、サマデシタ! アナタの祝福と呪いノジカンハ、オワリマシタ!」

といわれてどうにか合格。そんなところのある、ユーモアと味のある教育を受けることができた。



また、学部では多言語を教えることよりも、英語のような公用語を徹底的にマスターさせる教授法が採用されている。当然英語が最重要視。昔は神学部の学生は「聖なる言語」と呼ばれているラテン語や、ヘブライ語、ギリシャ語もしっかりと教えられていたようであるが、それは現在では大学院や、バチカンの教皇庁立グレゴリアン大学や聖書研究所に留学した学生が本腰を入れて学ばされているようである。


そういう次第で、第2バチカン公会議以前にラテン語を徹底的に学ばされて司祭に叙階された司祭は

「ああ、また聖なる言語を知らない神の僕(しもべ)が神父になった」

と落胆しているようであるが、大学当局は全く意に介していない様子。それも大学のグローバリゼーションの波に中にある印なのかもしれない。


以上、もう卒業して20年以上にもなる母校の非常に特殊な神学部について書いてみた。もし、カトリック系のミッションスクールで神学を学んでみたいという方がいれば幸いだ。