3か月に一度、精神分析の勉強のためにアメリカに行っている。学者主導で旧態依然とした日本の精神分析と比べて、アメリカでは、それで「飯を食っている」人が多いため、患者たちの変化に合わせて、あるいは、認知行動療法の人気に対抗すべく、精神分析の理論や実践がフレキシブルに変わる。それを習いに、尊敬できる先生のもとに勉強に通っているのだ。

 余談になるが、その日本の精神分析学会から、学会の方針などを決める運営委員に推薦され、立候補を勧める手紙が来た。多少は現状に危機感を感じて、最近の動向を知る気になったのかと立候補したら、ものの見事に最下位で落選だった。1位と2位の人は私の10倍以上の票を取っていたが、留学経験も英文の論文の実績もない人だった。今回立候補した中で英文の査読論文(編集委員がジャッジして採用を決める論文)の実績がある精神科医(英文の論文のある心理士の人も立候補していたが、その人は当選していた)は、私と京都大学の岡野憲一郎先生(日本で私が信頼できる数少ない精神分析医である)だけだったが、岡野氏の地元の近畿地区で最下位落選(関東地区で落選した私の4倍くらいの票を取ってはいたが)だった。日本というのは学会であっても、新しいものや旧来の理論を否定されるのには相当な抵抗があるようだ。

日本製トイレをしのぐアメリカの公衆トイレ

トイレやカーナビ、自動車。日本が強いとされていた産業分野が失われつつある。(©Puwadol Jaturawutthichai-123RF)
トイレやカーナビ、自動車。日本が強いとされていた産業分野が失われつつある。(©Puwadol Jaturawutthichai-123RF)

 精神分析の勉強のためにアメリカに行くと、その度に発見がある(私が気付くのだって少し遅れるが、日本の多くの人は気付いていないはずだ)。

 今回の発見は、トイレとラジオとカーナビだ。

 トイレについては、ウォッシュレットが世界中で売れ始めたこともあって、日本は最先端と考えられている。確かにアメリカではかなりいいホテルに泊まってもウォッシュレットになっていないし、色々なところのトイレは日本のほうが格段にきれいだ。そもそも公衆便所がアメリカは少なすぎて、私のように歳を取って尿が近くなった人間にはつらい。

 しかし、その公衆便所の男性用トイレが、かなりの割合で「ウォーターフリーテクノロジー」というものになっている。水で流さないのに臭くならないし、汚れもつかないという便器である。水が少ない国が多い中、資源の有効利用という点では高く評価できるし、恐らく小便器の分野では日本製より世界的にずっと売れることだろう。

 的確な無駄遣いの対策という点では、以前はペーパータオルが自動で出てくる機械が手洗いに設置されていることが多かったが、今はダイソンの手の乾燥機がかなり入っていた。ダイソンはいろいろな分野で積極経営をやっているようで驚かされた。

自動車向けラジオやカーナビアプリもアメリカで進化

 続いてラジオについてだが、私はジャズが好きで、アメリカで車を借りると普段はFM専門局にチューンする。選曲もよく、私のお気に入りの局があるのだが、半径80キロくらいがエリアのようで、ちょっと遠出をすると聞こえなくなってしまうのが難点だった。一方、今回借りた車ではFM局の受信機能がなかったので、仕方がなく「SAT Radio」というのを聞いてみた。SATというのはsatelliteの略のようで、衛星を使った自動車向けのラジオ放送のことなのだが、とても使い勝手がいい。

 ジャズだけでも5、6局あり、その中から好きなものを選べる。衛星放送だけあって、今回は500キロくらい遠出をしたのだが、まったく同じ音質でどこでも聞ける(トンネルに入ると聞こえないが)。途中で聞こえなくなって局を変える必要がないのだ。これなら、広大なアメリカのドライバーにも受けるだろう。

 最後は、カーナビについてだ。私はいつもHertzでレンタカーを予約しているのだが、今回から電話予約では、カーナビ付きの車を扱わなくなった(私の借りるクラスだけかもしれないが)という話だった(後述の渋滞情報付きのカーナビアプリを使える機器を貸すシステムに変わったようだ)。

 実際借りてみると、やはりカーナビはついていない。遠出の予定があったので、目の前が真っ暗になったが、以前に渋滞を避けるのに便利と聞いて入れたスマホ向けの「Waze」というカーナビアプリを使ってみた。これが予想外に優れもので、とんでもない裏道を教えてくれる(渋滞を避けるばかりか、移動時間の短縮になる信号のない道まで教えてくれる)。遠出をした際に教えてくれた思いもよらない道はものすごく殺風景だったが、確かに時間は早かった。

 数年前は、アメリカのカーナビには渋滞情報がなかった(今でもレンタカーのカーナビは渋滞情報がついていない)ので、都市部では不便だった。高速道路はタダとは言え混むことが多いのだが、カーナビでは早く着ける一般道も教えてくれない。アメリカはダメだなと思っていたら、ITの時代になるとGPSによる位置情報の精度の良さを活かし、SNSと連携してリアルタイムの投稿を渋滞情報に反映する機能を持つアプリが登場した。そのため、交通取り締まりや何らかの突発的な渋滞まですぐに表示され、予想到着時間に反映される。このシステムが提供されたことで、最も早く到着するルートの割り出しや到着予想時刻の計算も恐ろしく正確になっている。日本の官製の渋滞情報は主要道路しか使えないので、裏道も混んでいるときには役に立たないが、アメリカ企業はその問題もクリアした。

 日本ではGoogleが似たような機能を提供するアプリを提供しているが、まだ情報提供者が少ないのか、普及が遅れているのか、日本では既存のカーナビを使う人が多いように見える。私の経験では、Googleのアプリの到着予測時刻はそんなにあてにならないと感じるが、それでも日本の旧来のカーナビよりはるかに使い勝手がいい。日本のカーナビは世界一とされていたが、地元の日本でも、アメリカの会社に駆逐されるのは時間の問題だろう。

 日本が勝っていると思って油断していると、いろいろな分野で知らないうちに抜かれていることが多いことをまさに痛感した。

国際競争から脱落しつつある日本

 実は、この出国の直前に元経産省の官僚の古賀茂明氏が書いた、安倍政権の戦略ミスで日本が世界で唯一と言っていいくらいEV化で出遅れている、という記事を読んでいた。

 トヨタ自動車ですら水素自動車にこだわったために、本格的なEV発売は2020年くらいになる見通しで、世界の大手メーカーで最後尾の状況になってしまったというのに、EVの技術提携のために買っていたテスラ株を全部売ってしまうことになったというのだ。

 これを古賀氏は安倍政権と経産省の戦略ミスだとしているが、その可能性は十分ある。通産省であれば、日本の産業の方向性を官僚が引っ張っていったとされる(実はそうでもなく民間が優秀だったという説もあるが)が、今は内閣人事局が人事権を握るため、政権に気に入られるような無難な政策しか打ち出せない。そもそも、マスコミの官僚たたきで待遇が悪くなっている上、政治家(政権)に忖度しないと出世できないので、優秀な人材はバカバカしくて外資系企業などに流れているという話も聞く。

 ただ、私の見るところ、アベノミクスの最大の欠点は未来志向でないことだ。

 円安は旧態依然とした輸出産業を助けたが、逆に円高でも勝負できる産業の創生には邪魔になった。テスラにしても、当初は10万ドルもする車を出していた。新しいものなら高くても買うはずだという気概を何よりも評価する。円安歓迎というのは、逆にいうと高いと売れない、安くしないと買ってもらえないというマインドの裏返しだからだ。日本だって、ゲームやアニメ、医療なら1ドル50円でも勝負できる。円安でないと生き残れない産業を切って、円高でも勝てる産業を育成すれば、日本のGDPはドル建てで倍になり得たと私は信じている。

 というのは、円安で儲かった輸出産業はろくに設備投資をせずに、内部留保ばかりを増やしている。こんな会社に未来があるとは思えない。金融政策にしても、いくら低金利にしても相変わらず銀行の審査が厳しいので、なかなかベンチャー産業が出てこない。お札を刷って、低金利にすること以上に、政府が保証してベンチャーに金が回るようにしなければ未来志向の金融政策とは言えないだろう。

 今の日本では「あきらめ」が蔓延し、人々の上昇志向もかなり低下している印象だ。そのため、なかなか新産業が生まれてこないし、消費マインドも冷え込んでいるから内需もなかなか伸びない。そのうえ、肝心の国際競争力までこの体たらくでは、日本の先行きが本当に不安になる。少なくとも「あきらめ」ていない人への積極支援は必須だろう。

英語力の低下も深刻

 諸行無常とはよくいったもので、今、圧倒的に勝っているものでも油断しているとすぐにボロボロになるというのは、平安時代(鎌倉時代というほうが正確かもしれないが)からの戒めである。そのマインドが日本人に欠落してきたのではないだろうか?

 円高時代にトヨタが赤字になったことがあるように、日本の自動車産業が世界で勝てているというのも、実は、そろそろ怪しくなっているのかもしれない。それが円安政策で見えなくなっているとしたら、むしろそのほうが危険だ。

 勝っていると思って油断していたら、もう世界で勝負できなくなったものはいくらでもある。液晶にしても日本のトップメーカーが台湾の会社に買われるし(その後業績が急回復したのは皮肉だが)、有機ELはアメリカの発明だが、2007年にソニーが世界初の有機ELテレビを発売するなど、日本が圧倒的に強い分野だった。それが今やサムソンに勝てないという。写メールのころは海外の携帯電話は、何の機能もついていないに等しかったが、今はスマホは日本でも日本製のシェアが低い。私は愛国者のつもりで最近日本製のスマホに買い換えたが、タッチパネルのセンサーの性能が悪くて、まともに電話に出られないし、誤作動も前の機種より多い。

 勝っているという油断以上に怖いのは、勝っていないのに勝っているという誤解から、もっと負けることだ。

 日本人の英語力についての批判は「読み書きはできるが、聴く話すはできない」だったが、そんなことを言っている時代からTOEFLの日本人の平均点は読み書きでもアジアで最低レベルだった。実際、英字新聞を読む大学生は、東大生でもほとんどいなかった。話せないというが、自分の言いたいことを書ける日本人がどれだけいたというのだろうか。

 それなのに、読み書きの授業時間を削って、オーラルコミュニケーションなるものの時間を増やした。日本人の英語力崩壊は進み、短期を除く日本からの留学生は減っているのが実情だ。まさに国際化と逆行する結果となったのだ。

 日本人は「従来型の学力」は高いが、表現力や創造性に欠けるという理由から、2020年からはすべての国立大学をAO入試化する改革が予定されている。しかし、すでに従来型の学力でも韓国や中国や台湾に抜かれているというデータはいくらでもある。

 ノーベル賞の数で、中国や韓国に勝っているつもりになっている人がいるが、それは10~20年前の日本の研究力が勝っていたという話で、今の勝ちではない。実際に、引用数の多い雑誌に載る論文の数では、中国にはるかに抜かれている。

 もうこれ以上の油断をやめないと日本はとんだ後進国になりかねない。少なくとも英語を読む力は負けているという自覚だけはもって、外国の情報に触れ続けるのと、勉強を続けるのが個人でできるサバイバル術と言えるだろう。東大卒であれ、東大教授であれ、油断して大学に入ってから、あるいは教授になってから勉強しなければ、はるかに下の学歴や肩書きの人に負けるのは当然のことなのだから。

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