欧州の一部の国でベーシックインカム制度実施へ

 ベーシックインカム(基礎所得保障)制度の実現に拍車がかかってきた。ベーシックインカムとは失業手当や身体障害者への経済的援助、生活保護などといった、一定基準を満たした者が受け取れる現行の「条件つき給付金」の進化した形として提唱されているシステムだ。所得や能力、資産に関わらず無条件で、最低限の生活を送るために必要なカネを、すべての人に定期支給する。

2016年5月、スイス・ジュネーブ市内のプランパレ広場で、ベーシック・インカム(基礎所得保障)制度の導入を目指す活動家らが巨大なポスターを作り宣伝活動を行った。しかし翌6月、スイスでベーシック・インカム導入を巡り国民投票が実施されたものの否決された。(写真:ロイター/アフロ)
2016年5月、スイス・ジュネーブ市内のプランパレ広場で、ベーシック・インカム(基礎所得保障)制度の導入を目指す活動家らが巨大なポスターを作り宣伝活動を行った。しかし翌6月、スイスでベーシック・インカム導入を巡り国民投票が実施されたものの否決された。(写真:ロイター/アフロ)

 ベーシックインカムは、社会福祉の切り札とも、カネのバラマキとも言われ賛否が分かれてきたが、欧州では実際に2017年からベーシックインカムの社会実験が相次いて始まる。今、最も注目を浴びているプロジェクトは、フィンランド政府によるベーシックインカム制の施行である。来年から、無作為に選ばれた2000人から3000人のフィンランド国民(成人)が月額560ユーロ(約6万4000円)を支給されることになる。支給における条件は皆無だが、この手当は失業手当等の現行の公的手当に取って代わるものとなる。

 560ユーロとは国民年金の最低支給月額と同一だ。この試験的実施は2017年と2018年に行われるが、実際に実施することにより「ベーシックインカム制度が、はたして貧困層の減少につながるのか」「煩雑な事務手続きをなくすことができるのか」「社会的に疎外された人々を救済できるのか」「それと同時に雇用が増えるのか」──を検証する。

社会福祉手当の支給システムを単純化する狙い

 フィンランド政府の意図はまず、社会福祉等の手当の支給システムを単純化することにある。「援助金受給資格があるかどうか」「申請に不正がないか」といったことについて、絶えず監視している現行のシステムから、無条件に一定額を毎月支給し、貧困レベルからの救済を保証するシステムに変更するのが目的。

 フィンランドの施策よりも小規模ではあるが、オランダでもユトレヒト市で同様の試みが2017年1月から実施されるし、カナダのオンタリオ市やケニヤでも準備段階に入っている。また米国カリフォルニア州のオークランドでは、起業家の養成機関として有名な企業、Yコンビネーターの主導によりベーシックインカムの導入が検討されている。

 無条件にベーシックインカムを支給して雇用を増やせるのか? まず誰もが思い浮かべる疑問は、無条件にお金をもらってしまったら仕事への意欲が失せるのではないかということだ。怠け者にカネを払うことにならないか? しかしこの固定観念が実は誤りであることを証明する例は多い。

失業手当の受給者が“闇”で働くことを抑止する

 現行では種々の公的手当を受け取るためには、一定額の収入を越えてはならない。もし、収入が増えれば手当はストップする。失業手当に関して言えば、仕事を見つけて失業状態から脱すれば失業手当の支給がなくなるため、それを避けて、隠れて“闇”で働くことになりがちだ。そうなると、その人の労働から国家に入るはずの税収がなくなってしまう可能性が高い。

 シンプルな例を一つ挙げることとする。スペイン・マドリードで、年間4500ユーロ(約51万5000円)の生活保護を受けているある市民が年収7200ユーロ(約82万3000円)の仕事を手に入れたと仮定しよう。失業手当と比較すると月額2700ユーロ(30万8000円)の増収となる。だが、もちろん就業するので実業手当受給はストップとなる。その上、税金を引いた後の実収入は額面の62.5%となってしまう。

 いつ貧困層に落ち込むかもしれぬ労働者に、こんな所得税率を適用する意味があるのだろうか。こんな状況では、失業手当を受け取っている間は税金から逃れられる“ブラック”な仕事をするか、確定申告をしないという選択をするというのも理解できる。

 失業手当を受け取りながらも闇で働くことをとどまらせるための何かいい方法は、あるだろうか?

 無条件に定期的に手当を支給してこの人が貧困層に陥らない、という生活のベースをまず作り、その上で労働で得た額面からきちんと税金を収めてもらうという生活に移行してもらう方が、受給者にとっても社会にとっても意味があるのではないだろうか。

人工知能や機械化が、仕事を奪っていく近未来

 今後、さらなる機械化や人工知能などのソフトウエアによって生産性が向上し、仕事自体が減って行くと考えられている。それがために職を失った人の多くは、貧困層に落ちる可能性がある。そしてその時、社会福祉手当の支給の条件は収入が全く無いことが証明できること──。そんな状況が普通になる可能性をふまえて、我々はこれから持続可能な未来をどうデザインしていけばよいのだろう。

 これまで見てきたように、失業手当は「支給条件」を設けることで新しい仕事を探す意欲を削いでしまっている可能性がある。失業手当を受給している人が働き始めると手当の支給が止められたり削られたりするため、働く意欲をそいでしまう。これにより、むしろ貧困からの脱却が難しくなる「貧困の罠」の問題を内包していると言われる。

 似たようなケースを挙げれば、スペインの場合、年金を受け取っているライター(作家)にある一定額以上の著作権収入が入った場合、年金支給はストップする可能性がある。しかし、保険料を長年支払ってきた年金の支給を国家が停止してよいのだろうか? このカネは厳密に言って国民のものだ。

社会保障の受給に「条件」を設けると経済活動が停滞する

 このように生活保障受給に「条件」を設けると経済活動が停滞する。前に述べたライターの例では、まだ書けるのに書かなくなってしまうという事態が起こるかもしれない。受給者の経済活動に関係なく無条件で年金を支給すべきではないのだろうか。

 ベーシック・インカムの提唱者は、思想的に「左」でも「右」でもない。ただ未来を見ているだけだ。人工知能などといった新しいテクノロジーが雇用を奪っていく近い将来を見据えて、ブルーカラーや単純労働だけではなく、全ての労働者にとってこの新しいシステムは解決策となり得るかもしれないと、私は考えている。

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