「日本人=集団主義」論という危険思想

こんなに大きかったビジネスへの衝撃

「日本人は集団主義」というのは、日本人論の「常識」である。この「常識」、文化論ではあるのだが、たんなる文化論というだけでは済まない。わたしたち日本人にとっては、気づかれざる「危険思想」なのである。

なぜ「危険思想」なのか?

それは、日本を非難しようとする人たちにとって、きわめて強力な攻撃手段になるからである。

前稿『「日本人は集団主義」という幻想』では、科学的な国際比較研究が「日本人=集団主義」論を否定している、という話を紹介した。世界の「常識」にまでなっているこの「日本人=集団主義」論、正しい日本人像などではなく、じつは、19世紀に蔓延していた欧米優越思想の遺物にすぎないのである。

しかし、この「常識」、事実には反していても、「だれもが信じている」というそのことだけで、わたしたちの生活に深刻な影響をおよぼしかねない。近年では、日本経済がその衝撃に揺らいだ。

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日米貿易摩擦と「日本叩き」

1980年代から90年代にかけて、日本はアメリカによる熾烈な攻撃にさらされていた。といっても、もちろん、ナパーム弾や原子爆弾による攻撃ではない。言葉による攻撃である。しかし、その「言葉」は激烈で、凄まじい破壊力をともなっていた。

「日本叩き」と呼ばれたこの攻撃では、日本人は、「異質だ」と言われ、「アンフェアだ」と言われ、「狡い」と言われた。アメリカの政治家も、ビジネスマンも、ジャーナリストも、そうした言葉で、こぞって日本を非難した。

アメリカでは、社交的な集まりで、特定の民族の悪口を言ったりすれば、眉をひそめられるのがオチである。ところが、この時期、「相手が日本ならば、何をどう悪く言ってもかまわない」という風潮になっていた。アメリカのあるジャーナリストの言葉を借りれば、「日本は遠慮なく憎める相手になった」のである。

 

そうした憎悪や攻撃の原因は、日本との貿易で急激に増加していた巨額の赤字だった。当時、アメリカでは、自動車産業をはじめとする製造業が衰退し、それらの産業は、街に多数の失業者を放出していた。

街頭でテレビのインタビューに答えた失業者は、「日本は、われわれに物を売りつけるだけで、われわれからは何も買おうとしない。だから、われわれは仕事を失ってしまったのだ」と怒りを露わにしたものだった。

日本製の乗用車をハンマーで叩かせてお金をとる、という商売も現れた。議事堂の前では、議員たちがテレビ・カメラを呼んで、東芝のラジカセを叩き壊すパフォーマンスを演じてみせた。

こうした国民の怒りを背景に、アメリカ政府は、日本に輸出の「自主規制」を迫り、「数量制限」を呑ませ、日本からの輸入品に「報復関税」をかけた。50歳代以上の読者なら、新聞やテレビに、毎日のように、「スーパー301条」とか「日米構造協議」とかいった言葉が踊っていたことをご記憶だろう。

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