剣道を教えている先生から、その教育方針について聞きました。
それは剣道を習う子ども達に、電車の中では絶対に座席に座らせない、というものでした。
座るとしたら電車がすいていて、「立っている人が一人もいない」という状況になって初めて座る。
なぜなら、剣道を習っているということは他の人よりも強いということ。
強い者には強い者としての責任がある。
強さは弱いものを守るためにあるからだ」。
だから、「譲る」以前に「座らない」。
弱いものを座らせてあげるのです。
また、イギリスのエリート校、「イートン校」には、「ノーブレス・オブリージ(高貴なる義務)」の碑があり、第一次・第二次世界大戦の戦死者(卒業生)の名前が数多く刻まれています。
トップこそ自己犠牲の先頭に立て、と教えているので、ほかの学校より飛び抜けて戦死者が多いそうです。
そういう観点から考えると、心の教育とは、自己犠牲の教育でもあると思います。
あなたは大切な人なんだよ、他の友達も大切だよ、だけでは、極端に言えば自己満足だけに終わります。
その現象の一つとして「世界に一つだけの花」がヒットしてずいぶん経ちますが、青少年の犯罪は増えています。
あの歌はかなりメッセージ性が高く、カウンセリング的効果もあります。
子どもたちにも浸透しました。なのに、なぜ?
人間は、何かの、誰かの役に立って初めて、本当の満足が得られるようにできているのです。
強さは自分を誇示するためのものではなく、他人のために役立てるべきもの。
そして、役立てた時、本当の充実感が来るのです。
その充実感は、将来への大きな宝となります。
「その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」のではなく、「ほかの花を咲かせて自分の花も大きくなる」のです。
そして咲かせてもらった他の花は、まだつぼみの人に幸せを返す。
幸せを返すことでさらに大きな花になる。そこに喜びが来るのです。
間違った「強さ」の使い方をしている人のなんと多いことか。
小学校のいじめに始まり、パワーハラスメント、ドメスティック・バイオレンスに至るまで、子どもから大人まで、使い方がわかっていないのです。
間違った強さの応酬は、めぐりめぐって一番の弱者(子ども)にしわ寄せが来ます。
まず、小さいところから「人の役に立つ“味”」を体験することです。
材料はあちこちにころがっています。
子どもも大人も、同じです。
その味を覚えることが、「心の教育」「命を大切にする教育」へとつながり、将来社会をひっぱっていくリーダーに育ちます。
大人ならば、より深みのある人となり、魅力ある人になるでしょう。
まずは、大人が「強さ」の使い方を再考し、「人の役に立つ“味”」を知り尽くし、深い人になること。
そして、子どもに身をもって教えることが大切ではないでしょうか。