シャープが2月25日に開催した臨時取締役会で、台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業による買収提案の受け入れを決めた。

 鴻海の主力事業はEMSと呼ばれる電子機器の受託製造サービス業である。アップルから委託されiPhoneやiPadなどを製造しているのは周知の通りである。

台湾人のハードワークについて行けるのは40歳以下

鴻海精密工業の製造子会社富士康科技(Foxconn)が中国河南省鄭州に擁する世界最大のiPhone製造工場(2015年2月・筆者撮影)
鴻海精密工業の製造子会社富士康科技(Foxconn)が中国河南省鄭州に擁する世界最大のiPhone製造工場(2015年2月・筆者撮影)
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 私はそのEMSに関する情報を提供する会員制サイトで毎日発行するメールマガジンの編集をしている。EMSの大手には台湾企業が多いので、私も彼らとの付き合いがあるのだが、とにかくよく働くことに驚かされる。中でも親しくしていて、わからないことがあると教えを請う、あるEMS企業の台湾人幹部がいるのだが、携帯電話に電話してもまず一度で出ることはない。といっても、トップや幹部の即断即決が台湾人のビジネススタイルなので、「日本のお客さんには付き合いで会議をするけれども、私が主催でダラダラ会議することはない」ため、会議に出ていることはまれ。たいていは、工場の生産ライン近くで顧客のアテンドをしているか、商談に向かう機上の人になっているかのどちらかのことが多い。

 だからいつも留守電を残しておくのだが、返事が夜中の10時、11時になることはザラ。日付が変わって携帯が鳴り、「遅くなってごめんなさい」とかかってくることも少なくない。どんなに遅くなっても返事をくれるのはありがたいし、その誠実な姿勢を尊敬もするのだが、反面、「彼の下で働く社員はさぞ大変だろうな」とも思う。実際、彼が在籍しているのは欧米系EMSの中国工場なのだが、あまりの働きっぷりに、中国人の社員たちは、畏怖のこもった気持ちを抱いて、遠巻きにして彼ら台湾人幹部を眺めている、といった格好だ。

 その台湾人幹部の彼が、「あの人の働きぶりはすごい」「あの会社には負ける」といってハードワークぶりを讃えるのが鴻海の郭台銘会長と鴻海の幹部社員たちである。

 その鴻海に、シャープは再建を委ねた。シャープが鴻海案を選択した理由として、7000億円という資金の大きさに加え、シャープを基本的には解体せず、社員の雇用も守ることが盛り込まれていたためだとの観測がある。ただ、まだ買収の交渉中だった2月初め、郭会長が、雇用を守るのを明言したのは40歳以下の社員だけだという話が伝わっている。実際にどうなるかは今後、徐々に明らかになるだろうが、シャープの社員は、ただでさえ血の滲むような再建の道のりを、台湾人も恐れをなす鴻海の面々とやることになる。体力が徐々に衰え始める40歳以上では、鴻海のハードワークについていけないということなのだろうと、私は解釈している。

有機ELにも使えるシャープの技術

 さて、ここからは主に、鴻海の側から、同社がシャープを買収する目的について書いてみる。

 EMS業界や鴻海のお膝元である台湾で言われている買収の目的は、(1)シャープの液晶技術を応用し、iPhoneに有機ELディスプレーを供給する、(2)次の巨大市場と言われるインドでの製造と販売、(3)ガソリン車や電気自動車(EV)に搭載するディスプレイの供給、の3点だ。

 昨年11月、日本経済新聞の報道がきっかけで、アップルが2018年モデルのiPhoneから、ディスプレーにこれまでの液晶パネルをやめ有機ELを採用するとの観測が強まっている。その後、同12月にはブルームバーグが、アップルが有機ELを手がける開発センターを台湾に極秘裏に設立していたことをすっぱ抜き、iPhoneの有機EL搭載がさらに注目されるようになった。

 鴻海は現在、iPhoneの完成品組立の受注で圧倒的なシェアを誇っているほか、コネクター、金属筐体、プリント基板、タッチパネルなど主要部品の一部も供給している。半面、スマートフォンの重要部品の1つであるディスプレーでは、イノラックスという液晶子会社を持つものの、iPhoneが搭載する低温ポリシリコン(LTPS)液晶の供給は、韓国LGディスプレイ、ジャパンディスプレイ、シャープの3社の壁に阻まれ果たせないでいる。

 ただ、鴻海はスマートフォンのディスプレー受注で目立った実績が無いにもかかわらず、近年、LTPS工場への投資を積極的に進めてきた。台湾高雄に350億台湾ドル(約1190億円)を投じて工場を整備しているほか、中国の貴州省貴陽と河南省鄭州にそれぞれ1カ所ずつ建設するLTPS工場が2017年末から量産に入る予定だ。このうち鄭州工場の投資額について、地元紙『河南日報』(2015年11月9日付)は350億元(約6125億円)だと伝えている。

 日経新聞がiPhoneの有機EL採用を報じる直前の昨年11月上旬、ある台湾の著名なアップルウオッチャーは、iPhoneが有機ELパネルを採用する可能性は極めて低いとの見方を示したのだが、その根拠として挙げたのは、鴻海が河南省鄭州に巨費を投じてLTPS工場の設立を決めたばかりだということだった。鄭州には鴻海の子会社、冨士康科技(フォックスコン)が運営する世界最大のiPhone組立工場がある。鴻海が鄭州に設けるLTPS工場もiPhoneへの供給を目指したものであり、早晩、iPhoneが有機ELに変更するのであれば、鴻海が無駄な投資をするわけがない、というわけである。

 ところが最近になって、アップルがiPhoneに使う有機EL技術として、LTPSと酸化物半導体(IGZO)を融合したLTPO(Low Temperature Polycrystalline Oxide)と呼ぶ技術を開発中だとの観測が浮上し、注目を集めた。中国の群智諮詢という調査会社が今年2月3日に出したレポートで主張したもので、省電力に優れた酸化物と、製造コストは安いものの省電力に難のあるLTPSを融合する双方のいいとこ取りができる技術だと指摘した。IGZOといえば、シャープの代名詞的な技術。さらにLTPSでもシャープは鴻海を先行している。この指摘が出てEMS業界では、「2012年にいったん破談となったにもかかわらず、鴻海がシャープを諦めなかった理由はこれだったのか」という感想が広がった。さらに、鴻海の動向から、同社がかなり早い段階で、アップルがiPhoneに有機ELを搭載するという情報をつかみ、そのための準備を着々と進めてきたことになるとして、「鴻海恐るべし」の評価がさらに強くなったのである。

アップル・中国依存脱却としてのインド、そしてアフリカ

 ただ、スマートフォンの成長はここに来て明らかに減速している。2015年第4四半期のスマートフォン世界販売台数は前年同期比9.7%増の4億310万台と、2008年以降で最も低い成長となった。iPhoneは同4.4%減と、登場以来初めての前年割れとなった。iPhoneをはじめとするスマートフォンの成長を牽引する原動力となってきた中国市場も、2015年の出荷台数は4億3410万台、成長率は2.5%にとどまるなど(IDC調べ)、成長の鈍化には著しいものがある。

 こうした環境下、鴻海は、仮にアップルからiPhoneに搭載する有機ELディスプレーを受注したとしても、これまでのようにアップルに、iPhoneに、そして中国に依存しすぎていては危ない。さらに中国は鴻海にとって、最大時で120万人もの労働者を抱えていた同社にとって最大の製造拠点だが、近年、人件費の高騰で製造コストがかさんでいるほか、若者の製造業離れも相まって、中国での製造も年々難しくなりつつある。

 そこで鴻海が目を付けたのがインドであり、EVである。

 インドのスマートフォン出荷台数は昨年、前年比28.8%増の1億360万台だった(IDC調べ)。中国が2.5%成長にとどまったのとは対照的で、スマートフォン市場の牽引役が中国からインドに移行していることをうかがわせる数字だ。IDCによると、2015年第4半期のシェア上位5社は、サムスン、中国レノボ(聯想)、残りの3社はMicromaxなどインド地場系だった。このほか、シャオミ(小米科技)、オッポ(欧珀)など中国系の進出が目立つ。英紙「フィナンシャルタイムズ」(2月12日付)によると、アップルのティム・クック最高経営責任者(CEO)は1月の投資家向け説明会で、インドでの事業計画を「信じられないほどエキサイティング」と評し、同市場に対する期待の高さを露わにしたという。

 こうしたインド市場の潜在力を背景に、鴻海はこれまで中国に偏重してきた製造の軸足を、次の巨大市場であるインドに移すことを計画している。郭会長は昨年8月、インド西部のマハーラーシュトラ州政府との間で、今後5年間に50億米ドルを投じて新工場を建設、5万人を雇用するなどとした覚え書きに署名した。

 同時に鴻海は昨年からインドのアンドラプラデシュ州で台湾エイスース、実質的にフォックスコンが傘下に収めている米Infocus、シャオミ、ジオニー(金立)、メイズ(魅族)、オッポ、ワンプラス(一加)など中国ブランドのスマートフォンを製造。昨年だけで100万台を製造している。また、台湾の夕刊紙「聯合晩報」(1月14日付)は鴻海インド法人幹部の話として、鴻海がインドをアフリカ向けの拠点として育てる意向を持っていると報じた。シャープ買収や有機EL供給に向けた巨額投資は、鴻海が既に「中国の次」としてのインドだけでなく、「インドの次」まで見すえた上でのものだということができる。

EV車載ディスプレー供給への期待

 ただそれでも、スマホが欧米、日本、中国で既に大きな成長が望めないという事情に変わりはない。そこで鴻海が重視しているのがEV市場である。

 2015年3月には、中国のインターネット大手テンセント(騰訊)、中国でBMW、フェラーリ、レクサスなど外国高級車のディーラーとして知られる中国ハーモニー(和諧汽車)と共同で、インターネットと自動車を組み合わせたスマートEVの開発で提携。さらに、ハーモニーと組んで北京、浙江省杭州、河南省鄭州でEVのレンタカー事業を始めている。

 中国や台湾の市場では、鴻海が米テスラモーターズあたりと組んで、EVの完成車製造に進出するとの見方が根強くある。ただ、鴻海が狙っているのは、参入に高い障壁がある畑違いの自動車製造よりも、EMSとして培ってきた技術と経験を十分生かせる電子部品、中でもバックモニターやインパネなど、EVのみならず従来のガソリン車でも液晶パネルを多用するようになった車載ディスプレーの供給だろう。中国市場でまず、レンタカー事業やEV開発に参与して市場進出への種まきをし、シャープ買収効果で一気にEV市場でのシェア拡大を図るという青写真が浮かび上がる。

インドに漂う不透明感ととん挫事業の数々

鴻海が手がけた事業の失敗例の1つ、家電量販のメディアマルクトの上海淮海路店。正式撤退前の時点で既に店内からは大半の商品が運び出されガラガラだった(2013年2月26日・筆者撮影)
鴻海が手がけた事業の失敗例の1つ、家電量販のメディアマルクトの上海淮海路店。正式撤退前の時点で既に店内からは大半の商品が運び出されガラガラだった(2013年2月26日・筆者撮影)

 ただ、インドに製造拠点を設けるという話についても、気になる話が出てきた。インド紙「Business Standard」は2月19日付で、鴻海がマハーラシュトラ州に50億米ドルを投じる計画について、期日になっても同州政府に対して計画を提出していないと報じた。同紙が伝えたアナリストは、シャープに対する巨額の出資が、インドへの投資に影響している可能性があると指摘している。

 ところが鴻海は2月25日夕方、シャープが新たに提出した文書を精査するため、シャープの買収契約をしばらく見合わせると表明。インド、シャープとも、先行きはなかなかクリアにならないのが現状だ。

 もっとも、鴻海の郭会長がぶち上げた事業や計画が尻すぼみ、とん挫、停滞するのはシャープやインドが初めてのケースではない。

 例えば中国の人件費高騰を受け郭会長は2012年、中国の製造工場に3年で100万台のロボットを導入し自動化を進めるという目標を打ち出した。ところが台湾メデイアによるとロボットの開発、導入とも計画を大きく下回り、「工商時報」(2015年7月4日付)は、導入ペースは年1万台に過ぎないと報じている。

 このほか、iPhoneなど自社で製造を手がけた製品の販路を自ら広げることを合い言葉に、中国と台湾で進出した家電量販もとん挫。中国上海ではドイツの小売り大手メトロと組み、2010年末に家電量販店メディアマルクトを開店。2015年に中国全土に100店舗開店を目標に掲げたものの販売が伸びず、上海に7店舗を開いたのみで、2013年1月に提携を解消している。家電販売では、鴻海の中国工場で働いていた労働者を故郷に帰らせ地元で電気店を開店させるという計画をぶち上げ、実際に実行に移したものの、経営が素人でどこもうまくいかず、そのうち自然消滅してしまったということもあった。

 iPhoneに搭載が予定される肝心の有機ELについても、鴻海子会社イノラックス社の競合である台湾AUOの受注が有力だとの見方もある。ただ、これまで見てきたように有機EL、インド、EVと鴻海が長期的で明確な戦略の線上でシャープ買収をとらえているのは明らか。シャープは鴻海の描いたビジョンに命運を賭けることになる。

 最後に1つ。鴻海の中国工場で2010年、工員が10数人、連続で飛び降り自殺を図るという事態が発生。低賃金と職場や宿舎の劣悪な環境が原因だとして批判が集まった。同社の賃金や環境がさほどよくないということについては私も否定しない。ただ、「鴻海が中国に工場を設けていなければ、我々中国の若い世代は今ごろ路頭に迷っていたことだろう」と100万を超す就業機会を創出した同社を評価する声が、ほかならぬ労働者の側から上がっていたことを指摘しておきたい。

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