脳が壊れた僕と発達障害の妻が、最後に皆さんに訴えたいこと

されど愛しきお妻様【最終回】

41歳で脳梗塞で倒れたルポライターの鈴木大介さんが、「大人の発達障害さん」のお妻様とタッグを組んで過酷な現代社会をサバイブしてきた18年間を振り返る本連載、なんと最終回です(号泣)。前回から引き続き、2人の「脳が壊れた」ことによって失ったものと得たものについて振り返ります。

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男だったら典型的な「だめんず」

脳梗塞を発症して高次脳機能障害になった僕と、発達障害を抱えながら生きてきたお妻様。2人が近しい当事者感覚の中に立つことで、修羅場を繰り返してきた我が家は、出会いから18年を経てようやく平等の平穏を得た。けれども、それが幸運に幸運が重なったうえでの僥倖だということは重々承知だ。

それでもこの僕ら夫婦の物語を「心ほっこりいい話」で終わらせたくない理由は、これまで社会的困窮者の取材を主軸に活動してきた僕は、我が妻と同様に「脳に不自由を抱えた人たち」が、社会から差別され排除され、攻撃の対象になり、社会と対立しているケースすら多く見てきたからだ。

 

きれいごとを抜きに、論を展開したい。

ケアされるべき彼らが排除される理由として、どうしても避けて通れないことがある。彼らは基本的には被害的な立場に置かれることが多いが、一方で場面によっては「加害的な側面」も持ち合わせているということだ。

大きな誤解を招きかねないので、ここは改めて慎重に書く。

例えば僕自身、病後に自力で感情の抑制が難しくなったのは、本当に苦しい経験だった。けれど、そこで抑制を諦めてしまっていたら、もしくは努力しようとも抑制不可能なほどに障害が重かったらどうだったろう。

間違いなく僕は、ちょっとしたことでも場所や相手をわきまえずに怒鳴り散らす、猛烈に加害的なパーソナリティになっていたと思う。病前からトラブルを暴力で解決する傾向があれば、一層手のつけようのない暴力の加害者に、かつ「もの凄く苦しさを抱えた加害者」に、僕はなっていただろう。

photo by iStock

高次脳機能障害当事者の抱える問題の中、感情の脱抑制や暴言・暴力は非常に大きくて悲惨な問題で、家族や周囲に多大なストレスや苦痛を与え、本来ケアされるべき当事者が周囲から排除され、孤立してしまう原因でもある。そして残念なことに、同様のことはその他の「脳にトラブルを抱えた」当事者にも共通する。

では、発達障害当事者のお妻様の場合はどうか。彼女には障害を理由としてできないことが多くあり、幼少時代から成人期に至っても家族や僕に責められ続けた。その意味では、間違いなく彼女は被害的な立場だった。

だが一方で、「やれんことはやれん」と開き直って能動的な家事をしなくなり、仕事に出ることもなかったお妻様は、僕にとって加害的でもあったと言えるし、重荷で負担でなかったといえば絶対に嘘になる。お妻様にだって、被害と加害の両面の顔があるのだ。

お妻様がもし男性ならと考えたら、いっそう分かりやすい。働かない家事しない。一度機嫌を損ねたら、たとえ自分が悪くてもずっとしつこく不機嫌のまま。

本当は何らかの不自由があって働けなかったり感情のコントロールが出来ないのであっても、第三者から見てそれは典型的な「だめんず」で、言うまでもなく加害的な男性像として周囲からは捉えられるだろう。もし苦手な意思表示の手段の中に暴力が加わるなら、完全に悪質な加害者だ。

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