これからお読みいただく記事を書こうと思ったきっかけは、年始に筆者が抱いた些細な疑問でした。「猿が登場することわざや慣用句には、どんなものがあるのだろう?」という疑問です。

 皆さんもよくご存知の通り、今年は申年(さるどし)です。そして私事ではありますが、筆者は今年で4度目の年男なのです。

 ところが筆者は、言葉の観察を仕事にする年男の割には、猿のことわざや慣用句のことをよく知りません。筆者が記憶の範囲で思い出せることわざや慣用句と言えば「猿も木から落ちる」や「犬猿の仲」ぐらいのものです。しかし猿が登場することわざや慣用句の数は、こんなものではないような気もします。

 そこで筆者は、猿が登場することわざや慣用句――やや乱暴ではありますが、本稿では以上をまとめて「猿の慣用句」と呼称することにします――の数々について調べてみました。すると「アジア文化と猿との興味深い関係性」が見えてきたのです。

 今回の「社会を映し出す言葉たち」は、猿の慣用句について特集します。猿の慣用句にどのようなものがあるのかを観察したうえで、「アジア文化と猿との関係性」を分析してみたいと思います。

猿を「ネガティブ」に捉える慣用句

 猿の慣用句を探し始めると真っ先に気づくことがあります。それは猿のことを「知恵が足りない者」「愚かな者」と捉えるフレーズが多いという事実です。申年生まれの筆者としてはあまり面白くない話ですが、とにかくそうなのです。

 例えば「猿知恵」は浅はかな知恵のこと。「猿真似」は物事の上辺を真似ること。「猿は毛が三本足りない」といえば、猿が人より劣ることを意味しますね。そういえば、出版界では入門書の書名に「サルでもわかる」というフレーズを使うことが少なくありません。これらのフレーズに登場する猿は、どれも能力が劣る者を象徴しています。

 以下、猿をネガティブな存在と捉える、そのほかのことわざ・慣用句も紹介しましょう。

【猿に烏帽子(えぼし)】猿が烏帽子(昔の貴族がかぶっていた縦長の帽子)をかぶっている様子のこと。つまり「その人にふさわしくない服装や言動をしている様子」を意味します。なお似た意味のことわざに「沐猴(もっこう)にして冠す」ということわざもあります。これは、猿(沐猴)が冠を被っている様子を表しており「服装や地位が立派であるのだが、中身が下品である」ことを意味します。

【猿の尻笑い】猿が他の猿の尻を見て笑っている様子。つまり「自分のことを棚にあげて(自分の尻のことは省みないで)、他人の欠点をあざわらうこと」を意味します。

【朝三暮四(ちょうさんぼし)】中国の故事に由来する言葉で「目の前の利益にとらわれて、結果が同じであることに気づかぬ様子」「うまい言葉で人を騙すこと」を意味します。これは語源とされるエピソードに猿が登場します。

 その昔、猿を飼っていた老人が、家計が苦しくなったため餌を減らそうと考えます。そこで老人が猿に対して「これからはトチノミを朝に三つ、暮れに四つやろう」といったところ猿が怒りました。そこで老人は「ではトチノミを朝に四つ、暮れに三つやろう」と言うと、猿は喜んでこれに従ったのでした。

【猿猴取月(えんこうしゅげつ)】「猿猴(えんこう)月を取る」とも。「身の程をわきまえずに無理をしようとすると災いを受ける」ことを意味します。これは猿が水に映った月を取ろうとして、溺れ死んだという故事から生じたことわざです。

猿を「ポジティブ」に捉える慣用句

 このように、ことわざや慣用句の世界における猿は「知恵が足りない者」や「愚かな者」として登場することが少なくありません。

 しかしいっぽうで、猿を「賢者」に見立てたり「神格」視するフレーズも存在します。好例が「猿も木から落ちる」。皆さんもよくご存知の通り、その道に長けた者であっても時には失敗することを意味します。つまりここに登場する猿は、その道に長けた者を意味するわけです。「弘法にも筆の誤り」における弘法大師(空海)と同格の存在ともいえます。

 以下、猿をポジティブな存在と捉える、そのほかのことわざや慣用句を紹介しましょう。

【猿に絵馬】「取り合わせの良い物」を意味する慣用句。古来、猿は馬の守り神と思われていました。これは日本のみならず、アジアの広い地域で見られる考え方です。そこで馬小屋に猿を飼ったり、馬小屋に申(さる)の文字を飾ったりする習慣がありました。

 神社に奉納する絵馬でも、猿は定番の題材。例えば猿が馬をひく絵などがよく登場します。そういえば西遊記でも、猿(孫悟空)が三蔵法師の乗る馬をひいていますね。つまり猿と絵馬、あるいは猿と馬は、取り合わせのよいものなのです。その背景には、猿を神ととらえる考え方があります。

【見ざる聞かざる言わざる】両目、両耳、口をそれぞれ手で覆った猿のことを「三猿(さんえん)」といいます。日光の東照宮にある三猿像が有名ですね。

 三猿は日本以外でも広く見られるモチーフです。エジプト発祥のモチーフとの説もあり、日本にはシルクロード経由で到達したと見られています。この三猿のことを、英語でthree wise monkeys(三匹の賢い猿)と表現することがあります。したがって、この猿もポジティブな存在と捉えることが可能でしょう。

 ちなみに天台宗の考え方によれば、見ざる聞かざる言わざるとは「耳は人の非を聞かず、目は人の非を見ず、口は人の過を言わず」ということを意味するのだそうです(参考:ブリタニカ国際大百科事典・少項目版2009)。

おまけ ~その他の「猿の慣用句」~

 ではここからは、ネガティブとポジティブのどちらにも属さないことわざや慣用句を紹介しましょう。

【蟹(かに)の横ばい猿の木登り】文字通り、蟹は横に歩くものだし、猿は木に登るものだということ。つまり「他人から見てどれだけ不自然でも、当事者にとっては、そうすることが最も自然である」ことを意味します。後半を省略して「蟹の横ばい」と言う場合もあります。

【猿の水練(すいれん)、魚の木登り】水練とは水泳のこと。猿が水で泳ぎ、魚が木に登る様子を表しています。つまりこれは「見当違いの行動」を意味するフレーズなのです。ただし本物の猿は、種類にもよりますが泳げます。

【籠鳥檻猿(ろうちょうかんえん)】檻猿籠鳥(かんえんろうちょう)とも。鳥が籠の中に、猿が檻の中に囚われている様子を表す言葉です。つまり「自由を奪われた状況」や「生きたいように生きることができない状況」を意味しています。やはり中国の故事に由来する言葉です。似た言葉に「池魚籠鳥(ちぎょろうちょう)」があります。

【窮猿投林(きゅうえんとうりん)】この言葉は、窮地に追い込まれた猿が林に逃げ込むことを表しています。つまりこの言葉は「困っている状況では、選り好みする余裕がない」ということを意味します。これも中国の故事に由来する言葉です。

欧米では疎遠で、アジアでは身近

 ということでここまで、様々な「猿の慣用句」について紹介しました。

 ここでいま一度、冒頭の話に戻りましょう。「様々な『猿の慣用句』を観察すると、アジア文化と猿の関係性が見える」というお話です。その関係性の鍵の握るのは「ネガティブとポジティブ」という考え方です。

 実は欧米で生まれた「猿の慣用句」では「ネガティブ」な存在の猿に大きな存在感があります。

 英語の慣用句の例をあげましょう。例えばmonkey business(モンキービジネス)はインチキな商売の意味。monkey on your backとかhave a monkey on one's backという表現は「重荷を抱える」ことや「麻薬中毒」を意味します(参考:英辞郎 on the WEB)。

 また残念ながら英語ではmonkeyが差別用語にもなってしまいます。具体的な記述は避けますが、黒人、黄色人種、あるいは特定の国家やその軍隊を侮蔑するような場合に、monkeyを含む差別表現を用いることがあるのです。

 このように英語における猿は、多くの場合、ネガティブなイメージを持っているのです。

 また程度の違いはあるのの、英語以外の西洋系の言語でも、猿はネガティブなイメージで登場することが多いようです。たとえばイタリア語、ポルトガル語、スペイン語の猿には「猿真似をする人」という意味もありますし、ドイツ語の猿(Affe)には「見栄っ張り」という意味があります。どれもネガティブなイメージです。

 しかしながら、日本語における猿の慣用句には「ネガティブとポジティブ」の両方のイメージが存在します。もっと正確に言えば、アジア文化(日本や中国など)における猿の扱いには「ネガティブとポジティブ」の両方のイメージが存在するのです。

 この差異には、おそらく「猿の生息域」が影響しています。そもそも猿の生息域は、赤道を中心とした地域(アフリカ、東南アジア、南アメリカ)です。欧州や北米において、猿は馴染みのない動物でした。逆に言えば、アジアにおいて猿は馴染み深い動物だったのです。

 そういえばアジア文化で発祥した「物語」には「猿」がよく登場します。例えば中国の西遊記や、日本のさるかに合戦などです。このうち西遊記に登場する「孫悟空」は、やんちゃであるネガティブな側面と、ヒーローであるポジティブな側面を両方持ちあわせた存在ですね。

 まとめるとアジアにおける猿は、人に近い場所に棲む動物だったために、それだけ馴染み深い存在となり、ことわざや慣用句の中でも「ネガティブとポジティブの両面」を持つ存在となったのではないか――と推測できるわけです。

まとめ ~「断腸」の語源~

 ということで今回は、猿の慣用句について特集しました。日本語における「猿の慣用句」には、猿をネガティブに捉えるもの(猿の尻笑いなど)とポジティブに捉えるもの(猿も木から落ちるなど)の双方が存在すること。英語などの西洋系の言語では、主にネガティブな言葉に存在感があること。その差異の背景に、おそらく猿の生息域が関係していることを紹介しました。

 慣用句の話からは離れるのですが、最後に1つ紹介したい言葉があります。それは「断腸」という言葉です。言うまでもなく「腸がちぎれてしまうほど、悲しかったり苦しかったりすること」を意味します。

 この言葉の語源に、猿が絡んでいることをご存知でしょうか。中国の古い物語集である「世説新語」に、断腸の語源となった物語が登場するのです。

――武将・桓温(かんおん)が渓谷を船で旅したときのこと。部下が、岸にいた子猿を母猿から引き離し、船に載せてしまいました。母猿は百里ほど舟を追いかけたのち、ついに死んでしまいます。死後、その母猿の腹を開けたところ、なんと腸がずたずたに千切れていました。桓温はこの話を聞いて怒り、部下を部隊から追い出したのでした――このように断腸の語源は、なんとも悲しいお話なのです。

 ともあれこの物語は「母猿」を「子供思いの母親」として描いています。筆者はこの点が、アジア文化における猿の立ち位置――つまり人間にとって猿が身近な存在であるということ――を象徴しているように思えてなりません。

 猿のことわざや慣用句から「アジア文化と猿との興味深い関係性」が見えてきた――というお話でした。

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