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パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

フランスの新聞社 シャルリー・エブド襲撃事件について

2015年01月10日 | フランスあれこれ
 「フランスで新聞社襲撃 12人死亡」
朝電車に乗っていた時、ふと目の前にいた人の新聞の
見出しが飛び込んできた。え?なに?嘘でしょう?
動揺しながらすぐにFrance infoのニュースを聞くと
普段のラジオの調子とは全く違う、深い悲しみが伝わってくる。
「彼は本当に優しい人だったんだ。人を傷つけようなんて
気持は微塵ももっていなかった。友人を亡くす悲しみが
こんなにも辛いものなんて・・・」ほとんど泣きそうになりながら
亡くなったシャルブ氏について語る人がいた。
その時私には15分くらいしか時間がなく、一体何が起こったのか
よくはわからないけど、ただ事ではないというのを痛感した。


 私がそれを知ったのは木曜の朝、それから少しでも
時間があるとひたすらラジオを聞いて、ルモンドを読み、出会ったフランス人と
会話をし、理解を心がけてきた。印象としてはフランスにおける
9.11と言ってもいいくらい、フランス人たちは相当なショックを
受けている。けれども日本ではどうも受け止め方が異なるように思う。
だから私は知っている限りのことを書いてみよう。
遠くに住む私ができることは訳すことと書くこと、
きっとそれくらいだと思うから。



 シャルリー・エブドが襲撃され、12人もの関係者が亡くなり、
フランス中には激しい悲しみとショックが広がった。
私は9.11の時にフランスに留学していたけれど、
今回はおそらくそれと同等かそれ以上のショックが
あったのじゃないかと思われる。オランド大統領が
エリゼ宮に政敵のサルコジ元大統領をわざわざ呼び、
サルコジもすぐにそれに応じていった。国旗は3日間
掲げられ、木曜日には学校やメトロなどでも
1分間の黙祷の時間があった。容疑者の
逮捕に向けてもまさにフランス中が1つになって動いていたのが
感じられる。フランスのニュースはそのことしか話さない。
あまりのショックと、激しく緊迫した状態が
ラジオ1つからでもひしひしと伝わってくる。
そんな経験は初めてだ。



 「シャルリー・エブド」という週刊誌の名前を事件前から
知っていた日本人はきっと少ないだろうと思う。
私もまず新聞の見出しで「新聞社襲撃」と知り、
一体どんな新聞社かと思っていた。ここで大切なのは
「どこでもいいどこか」の新聞社が襲撃されたのではなく、
シャルリー・エブドがしっかりと狙われたということだ。
そこにフランス人は相当なショックを受けている。
何故なのか。シャルリー・エブドというのは1960年に創刊された
「アラキリ」という雑誌を前身とした週刊誌で
ご存知のように風刺画をウリにしている。
その風刺の仕方は私たち日本人からするとちょっと
やり過ぎじゃないの?とか、ここまでする?という
印象を受けることもあるけれど、フランスでは相当
愛されてきたようだ。「アラキリ」は60年代前半から
月刊誌を創刊し、社会風刺、社会批判的なことを続けてきたため、
何度も出版禁止にされてきた。
「アラキリ」というのは「腹切り」、つまり切腹という意味だ。
それがタイトルになっている。しかも切腹、ではなく腹切り。
そういう名前の週刊誌というのもどうかと思ってしまうけど、
「アラキリ」もかなり愛されていたらしい。


 シャルリー・エブドの風刺については、何も
イスラム教だけに限ったことではなく、イスラム教、というよりも
イスラム原理主義など、行き過ぎてしまったものに対する
風刺を中心としていたようだ。イスラムだけでなく、キリスト教や
ユダヤ教に対しても風刺があり、NHKの生前のインタヴューでは「マルクスを
批評するのと同じように、宗教家だって批評されてもいいではないか」と
編集長のシャルブ氏が語っていた。
(ちなみに宗教への風刺という概念はアメリカにはないらしい)


 さて、ここで私たちにとってわかりにくい問題が出現する。
それはフランスの「ライシテ 政教分離」というものだ。
フランスはフランスで生まれたら、親の国籍がどこであろうが
子供はフランス人になれるという出生地主義を長年とってきた。
そのかわり、フランス共和国の一員となったからには
「アンテグラシオン」をしっかりしてもらいましょう、という
暗黙の了解がある。この「ライシテ」も「アンテグラシオン」も
フランスに住むとよく耳にするけれど、留学当初は
辞書でひいてもまったく意味がわからなかった。
まず、アンテグラシオンというのは「統合」と訳されるけれど
「フランスに住むからにはフランスを受け入れてもらいましょう」
というもので、その最たるものにフランス語教育がある。
フランスの優れた教育は受けさせてあげるから、フランス語は
しっかりとやりなさい。母国語でのみの生活はだめ!ということだ。
私はこの強烈な「アンテグラシオン」でフランス語漬けの生活を余儀なくされた。
おそらく政教分離もそのアンテグラシオンの1つと言えるだろう。
どんな宗教を持っていても構わない。けれども公教育の場では
それをあえて明示するようなものを身につけてはいけない。
キリスト教徒が十字架の首飾りをするのもダメ、イスラム教徒が
スカーフを巻いて授業を受けるのも・・・本当はダメだと思う。
このあたりで議論が巻き起こり、「イスラムスカーフ問題」というのが
随分前にかなり問題になっていた。


 さて、そのアンテグラシオンやら政教分離があるので、
親がどの国出身でどんな宗教を持っていようがフランス国民として
平等に生きていけることになっている。とはいえ本当に違いがないか、
住む場所や肌の色、名前で判断されていないかといえば
実際には「平等」なんて言えないだろう。アンテグラシオンは
うまくいけば(理念上は)素晴らしいけど、そんなに簡単に
適応できないこともある。フランスは今でも階級社会の名残が
あり、地区ごとに生活環境もかなり違うので、移民の子として生まれ、
様々な葛藤や感情を抱いて育つ人がいるのは想像できる。

(今朝のLe Mondeにはシャルリー・エブドの絵に対して今でも怒っている
イスラム教徒の中学生の話が載っていた。)



 それに対してシャルリー・エブドの立場はというと、裕福で
恨まれるようなブルジョワ金持ち、というわけではなく、
どちらかというと左翼の闘士に近い感じのようだ。
シャルリー・エブドはまさに「表現の自由」という
フランスのプレス、フランスの文学、哲学の根幹とも
言えるようなものを代表し、具現しつづけていた雑誌社だった。
昔から何度か出版禁止になり、火炎瓶を投げ込まれ、
事務所がほぼ燃えてしまっても、引っ越しを重ね、
それでも出版を続けてきた。表現することのリスクや
怖さを自ら体感しつづけてきた上で、それでも
彼らは表現し続けた。私のまわりのフランス人たちによれば
彼らの風刺画はあくまでもユーモアであり、誰かを
傷つけようという意図ではなく、「ちょっとこういうのって
行き過ぎ難じゃないの?」という状況を風刺画で
描いていた、ということだ。


 日本で今のフランスの状況が伝わりにくいのは、
日本の状況に還元して考えるのが難しいからだろう。
何度も私も考えたけれど、おそらく日本にはシャルリー・
エブドに相当するものはないだろうし、だからこそ
その「表現の自由の象徴」であった彼らを失った
ショックもあまりよく理解できないのだと思う。



 個人的には「そこまで描く?」とか行き過ぎでは?と
思うこともあったけど、冒涜、侮辱のためではなく
それでもあえてやり続けるというのは彼らなりの強い意図が
あるからだろう。それは笑ってやろう、というのではなく
おそらくそういう姿を自分が客観的に見ることで、あれ、
それって変じゃない?行き過ぎかも?何もそこまでしなくても、
と自らを問い直す、言い換えれば"Philosopher"(哲学する)
当たり前だと思っていた姿を問い直す、
ということをしたかったのかもしれない。
だとすれば、フランス人が必死になってシャルリーの
精神を守ろうとしているのも理解できるように思う。



 シャルリー・エブドはリスクを承知でそれを続け、それでもフランス社会には
多くのイスラム教徒でさえも「シャルリーを支持する」と
言えるほどの寛容さや成熟した視点があった。
私が個人的に驚いたのは、今回かなり早くにイスラム教関係の
代表者達がラジオの取材等に応じ、悲しみとシャルリーへの
支持を示したことだった。彼らの多くは言っていた。
「容疑者のしたこととイスラム教とは何の関係もない。
イスラム教は平和を願う宗教だ。」イスラム原理主義と
イスラム教には深い隔たりがあるらしく、多くのイスラム教徒が
またイスラムの名の下に、自分たちをひとくくりにされる
何の関係もない事件が起きたことに強い衝撃を受けている。
この日曜日にはパリで大規模なデモ更新が予定され、
そこには数多くのイスラム教徒が参加するだろうと言われている。
フランスでは事件後から"Je suis Charlie"(私はシャルリー)と書かれた
プレートやFacebookの画像を持つ人が増えている。
その中でも「私はイスラム教徒 私はシャルリー」とあえて書く人もいる。

 フランスにはルソーの時代から、他の国では許されないような
表現に対する寛容さが守られてきた。だから多くの亡命者が
やってきた。ルソーは言った。「自分の国では書けないことを
フランスでは書くことが出来る。」ゲートルード・スタインも言った。
「作家は2つの国を持たなければなりません・・・」そして
アメリカ人の彼女はフランスで書いた。ジェームスジョイスの
本だって、本国では発禁だった。それをフランスで発売した。
多くの国では許されないことを、フランスはそれを誇りに思って
許してきた。けれどもその象徴的な人物が、本国のパリで
自分の会社で惨殺された。おそらくそれが
ものすごくショックなことなのだろう。


「ペンにはペンで立ち向かえばいいではないか」
私にそういった人がいる。それが誰にでもできることではなく、
そういう言い方がまた階級や、生粋のフランス人と
そうではない人たちの立場の差を感じさせてしまうのでは
と私は思ってしまうのだけど。あなたにはできるかもしれない。
でも私達はそもそもそんな世界に行くことすらできなかった、
そう思う人たちはいるだろう。けれども誰しもに共通するのは
「だからといって何も殺すことはない」まさに本当にそう思う。
それに容疑者はアルカイダで訓練を受けたようなプロだったから
それこそ一般の人たちの感覚とはかけ離れているのかもしれない。


 日曜日には前代未聞の規模のデモが開催される。
シャルリー・エブドは諦めず、来週の水曜日には100万部を刷るという。
フランスにはシャルリー・エブドという、ペンで戦い続けた人たちがいた。
サルトルも彼らを応援していたという。書く、というのはリスクを伴う。
誰よりもそれを承知していたシャルブ氏たちは、それでも書くという選択をした。
信じられないほど勇気のある彼らの姿 そしてこれからのフランスを
もう少しちゃんと追ってみたい。

参考文献 Le Monde.fr , franceinfo

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