歴史戦

南京・民間博物館「八紘一宇を削れ」「何度でも来る」 宮崎に仕掛けられた根拠なき歴史戦

【歴史戦】南京・民間博物館「八紘一宇を削れ」「何度でも来る」 宮崎に仕掛けられた根拠なき歴史戦
【歴史戦】南京・民間博物館「八紘一宇を削れ」「何度でも来る」 宮崎に仕掛けられた根拠なき歴史戦
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 「最低でも塔から『八紘一宇』の文字を削り、礎石の由来を歴史の事実に従って記載すれば、石の返還を求める考えについて再考したい」

 「南京民間抗日戦争博物館」の呉先斌館長は、平和の塔をめぐる宮崎県との面会で、こう述べた。

 呉氏はこうも訴えた。「かつての侵略戦争は中国人民に筆舌に尽くしがたいほどの災難をもたらした。八紘一宇の文字には反感を覚える。歴史の事実に従ってほしい」

 歴史の事実はこうだ。平和の塔は神武天皇即位2600年を記念し、昭和15年に建設された。その際、刻まれたのが「八紘一宇」の文言だった。

 確かに戦中の一時期、戦意高揚のスローガンに流用されたことはあった。だが、もともとは神武天皇による建国の理念・理想を表現した言葉だ。八紘(四方と四隅、転じて天下を表す)を、一宇(一つの家)となす。日本書紀に記された、和を尊ぶ日本らしい言葉だといえる。

 この歴史を踏まえ、都市計画課の森山福一課長は「八紘一宇は世界平和を祈念する理念であり、戦争とは無関係である。また、石の寄贈の経緯を示す具体的な文書が残されていない」として、礎石の返還要求を拒否した。

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