東京でも無料Wi-Fiアクセスポイントがずいぶん増えた気がする。2020年の東京オリンピックを見据えたおもてなしの一つとして、訪日外国人観光客向けに無料Wi-Fiエリアを拡大しているように見える。
街中で無料Wi-Fiを使えると何がいいのか
私のような方向音痴の人間からすると、Googleマップにアクセスすれば、今いる場所から目的地まで迷わずに行けるのがいい。紙の地図を見ながらでは、目的地までスムーズに到着したためしがない。Googleマップなしで外国に行くのは不安だ。
それに、言葉が通じない地域でも、インターネットが使えれば翻訳・通訳サービスを利用できる。高額のデータ通信ローミングを利用しなくても済む無料Wi-Fiはとてもありがたい。
2010年の地方選を機にエリアが急拡大
ソウル・釜山・済州など外国人観光客の多い地域や2018年にピョンチャン冬季オリンピックが開催される江原道地域では無料Wi-Fiに困ることはない。地下鉄駅構内、バス停、ショッピングセンター、カフェや食堂などあらゆる場所で無料Wi-Fiを提供している。
韓国情報化振興院によると、自治体が運営する無料Wi-Fiアクセスポイントだけで1万1280カ所(2015年末時点)に及ぶ。毎年、平均して2倍に増えている。韓国では2010年地方選挙で、全国のほとんどの市長候補が「無料Wi-Fi網の構築」を公約に掲げた。その結果、早くから無料公衆Wi-Fiが広がった。
中国人観光客の多い済州は無料Wi-Fiの高速化を目指していて、1Gbpsの無料高速Wi-Fiを2020年までに島全体で使えるようにする計画だ。
無料Wi-Fiを使うのに必要なアプリケーションのダウンロードや面倒な認証プロセスもない。SSIDを選択して接続するだけですぐ使える。この点が日本とは異なる。無料Wi-Fiが多すぎるために電波が干渉するのか、速度が遅くなってしまうこともあるほどだ。
自治体が提供する無料Wi-Fiをベースに韓国企業は、外国人観光客向け位置基盤サービスを提供している。無料Wi-Fiにつながったスマートフォンを持っていると、特定のお店の前を通るだけでクーポンが届けられる。今いる場所の近くにあるお勧めレストランや観光地も教えてくれる。
自治体によっては、無料Wi-Fiの利用者が多い地域や、クーポンの利用が多い業種などを分析して観光政策にいかそうという動きもある。
韓国の自治体は、無料Wi-Fiエリアを2016年からさらに拡大する。これは外国人観光客のためだけではない。市民の生活をより良くする、都市問題を解決するといった狙いもある。インターネットは空気と同様に韓国人の生活に欠かせない要素。無料で幅広く提供することで、インターネットを活用したサービスをより活性化させる。
ソウル市が着手したデジノミクス
韓国の首都ソウル市は3月から「ソウルデジタル基本計画2020」に着手、2020年までにソウル市のほぼ全域に無料Wi-Fiを普及させる。2016年3月時点で、ソウル市内の5000カ所に無料Wi-Fiスポットがある。これを拡大し、無料Wi-Fiをベースに市民の生活環境を改善するための行政サービスを提供する。無料Wi-Fiスポットは、ビッグデータ分析を行ない、人の流れが多い地域から優先的に整備する。
具体的には、2020年までに総額4605億ウォン(約460億円)を投資して「ソーシャル特別市」「デジノミクス」「デジタル社会イノベーション」「グローバルデジタルリーダー」の4大戦略を進める。「新しいつながり、いつもと違う経験、グローバルデジタルソウル2020」がキャッチフレーズだ。この計画の中でも最も注目を集めているのは「デジノミクス」である。デジタルとエコノミクスを組み合わせた造語で、デジタル環境を基盤に経済の活性化を図る。
2017年からは走行中の地下鉄やバスの中を含めて、無料Wi-Fiが使えるようにする。こうすることで、災害情報が提供しやすくなる。無料Wi-Fiにアクセスすると最初にソウル市の告知画面が表示されるように設定し、災害情報や地下鉄の事故・遅延情報を随時提供する。
無料Wi-Fiのコストはソウル市だけでなく民間企業にも負担してもらう。無料Wi-Fiのセキュリティ強化については中央政府とも協議する。ソウル市はキャリア3社と交渉して電波の干渉により速度が落ちることを防ぐ。
IT人材を育てる
ソウル市は無料Wi-Fiを普及させることで、都市問題を解決し市民生活を向上させるとともに、IT産業を育成することができるとみている。
ソウルデジタル財団が中心となり、Fintech(ICTを活用した新しい金融サービス)関連スタートアップを2020年まで30社育成する取り組みを2016年5月から始める。
2016年9月にはソウル市の南地区にデジタルイノベーションパークという名前のアカデミーをオープンし、IoT分野の専門家33万人を養成する。新しいビジネスを創出するイノベーターの養成を目指す。
ITベンチャー企業が開発した技術の中から「IoT関連有望技術」を選定し、ソウル市が技術開発費用と営業をサポートする。
センサーが異常を消防に自律的に通報
無料Wi-FiとIoTを利用することで都市問題を解決し、市民生活を向上させる実証実験が既に始まっている。ソウル市の繁華街、明洞の北側にある北村の住宅街では2015年からゴミの処理やリアルタイム駐車場管理、観光案内・道案内にIoTを使っている。IoTはすべてのモノをインターネットにつなげて、データを計測したり自動制御したりする技術である。
IoTも無料Wi-Fiを使うことで、より気軽にモノをインターネットにつなげるようになり、より豊富なサービスを展開できる。無料Wi-Fiを使うことで通信費用を節約できるので、一般ユーザーもIoTを利用してみる気になれる。最近の韓国のモバイルデータ通信は従量制課金制で、使い放題の料金プランが少ない。しかも短期間に大量のデータ通信をすると速度制限がかけられてしまう。無料Wi-Fiがいたるところにあれば、負担なくスマートフォンからIoTサービスを利用できる。
北村で現在行っているIoT実証実験サービスの一つが「火事通報」だ。建物に温度・煙などを感知するセンサーを設置。異常を感知すると、建物が自ら、住所、建物の所有者の連絡先、どのような異常が発生したのかを消防にショートメッセージで通報する。韓国では警察も消防も専用のアプリケーションを用意しており、誰でもチャットやショートメッセージを使って通報ができる。センサーは建物の所有者にも建物の温度などのデータを随時報告し、例えばエコな温度管理ができるよう支援する。
北村にはIoTゴミ箱もある。センサー付きのゴミ箱が、いっぱいになりそうになると「そろそろゴミを回収してほしい」とソウル市不便届け窓口に自ら連絡する。北村は京都のように古い住宅が多く、それを見に来る観光客が多い。観光客が多いとゴミも大量に発生するので住民たちが困っていた。IoTゴミ箱の数はまだ十数個しかないので、2020年までに増やしていく。
観光客による違法駐車問題もセンサーで解決した。違法駐車をするとセンサーが自動的に感知して警察に通報する。
駐車場も変わる。民間企業が運営する駐車場は会社ごとに異なるアプリケーションを開発して駐車場の空き情報を利用者に提供している。ソウル市は市内にある550カ所の民間・公共すべての駐車場の空き情報を自動的にリアルタイムで把握し利用者に提供する考えだ。
福祉サービスも変化の途上にある。保健福祉部(韓国の「部」は日本の「省」)、ソウル市また民間企業が社会貢献のために提供しているサービスを「Bigcare」にまとめ、2020年までに「訪ねていく福祉サービス」を実現する。貧しいことを恥ずかしく思って生活保護を申し込まない人や、自分が福祉サービスの対象であることを知らない人が数多くいる。彼らが自分から申し込まなくても、福祉サービスを提供する側が主体的に提供する形態にする。
ソウル市は2020年までソウル市全域を北村のようなIoT実証実験地域にする。
ネット外部性を使った行政改革
韓国の無料Wi-Fiは外国人観光客のためだけでない。人口の85%超がスマートフォンを利用する韓国では、インターネットは空気と同様の生活必需品になっている。大量のデータをスピーディーに送受信する際には有料の高速データ通信を使い、スピードがさほど重要でない用途なら誰でも使える無料Wi-Fiを利用する。無料Wi-Fiエリアを拡大する取り組みは、ネットワーク外部性(電話やインターネットなどのネットワーク型サービスにおいて、加入者数が増えれば増えるほど、利用者が得られる効用が増加する現象)を利用した行政改革とも言える。
日本はまだ、「無料Wi-Fiで外国人観光客の利便性を高める」という考えに留まっているように見える。韓国の事例を参考にしてはどうだろうか。
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