「マネジメントに必要な資質は真摯さである」「人こそ最大の資産」といい、人間主義を貫いたドラッカー。一方、コリンズは、「不適切な人材はバスから降ろすべき」と主張。一見、相反する両者だが、思想の根底ではつながっていた。果たしてイノベーションに必要なのは何なのか。ドラッカーが小説形式で学べる『もしドラ』の続編を執筆した岩崎夏海氏と、ドラッカーとコリンズに何度もインタビューしたことがあるジャーナリストの牧野洋氏に語っていただいた。
(前回から読む)
牧野さんはコリンズとはどのようなきっかけで出会ったのでしょう?
牧野:最初は2000年頃に、雑誌『日経ビジネス』の特集でインタビューに行きました。僕がまだ編集部に在籍していた頃です。そのとき、コリンズは過去100年に及ぶマネジメント史について語り、その中でドラッカーの話をしてくれました。マネジメント史には5段階あり、ドラッカーは第3段階の「マネジメントの発明」に位置すると説明したんです。
岩崎:コリンズとドラッカーは、コロラドでつながっているんですよね。
牧野:そうなんです。コリンズはコロラドのボルダーに経営研究所を開いていて、僕もそこへインタビューに行きましたが、ドラッカーにとってもドリス夫人に連れられてコロラドでハイキングや山登りをすることはとても重要なことだったんですよ。
ドラッカーは全著作の4分の3を60代になってから書いていて、90歳を超えてもいろいろな論文を書いていました。とてもプロダクティブな晩年だったんですね。これも健康管理あってこそなんです。教鞭をとっていた大学には片道30分かけて歩いていましたし、晴れた日は自宅のプールでよく泳いでいました。
岩崎:それですごく長生きもしましたね。
牧野:ドラッカーの健康管理は、すべてドリス夫人の指導でしょう。ドリス夫人はドラッカー以上にスポーツウーマンで、90歳や100歳になってもクレアモントクラブというスポーツクラブに毎週3回通ってテニスをしていました。僕もクレアモント在住のときは、そのスポーツクラブでドリス夫人に時々ばったり会っています。
ドラッカーは知識労働者、ノウレッジワーカーという概念を編み出したことでも知られていますが、知的生産には健康が極めて重要であるということを最も早く実践した一人だと思います。
岩崎:なるほど。
牧野:コリンズもすごく健康的な人で、筋肉質なアスリートなんですよ。コロラドのボルダーに住んでいるのも、ロッククライミングをするためですからね(笑)。コリンズはまだ50代ですが、きっと60、70になってもまだまだたくさん書くと思いますよ。
ドラッカーに人生を変えられたコリンズ
ドラッカーさんとコリンズさんはどれくらい親交があったのですか?
牧野:1994年にコリンズが『ビジョナリー・カンパニー1』を出したとき、それ読んだドラッカーがコリンズに直接電話したそうです。「もしもし、ピーター・ドラッカーだ」と名乗って。この話はコリンズがよくするんですよ(笑)。
岩崎:昨年、ドラッカーハウスのオープニングイベントでも話していました(笑)。
牧野:その後、コリンズは呼ばれてドラッカーのところに行ったそうです。そこで「君は永続するマネジメント思想をつくりたいのか? それとも、永続するコンサルティング会社をつくりたいのか?」と問いかけられた。30代半ばで自分の会社を立ち上げたばかりだったコリンズは、ショックを受けたそうです。それ以降、コリンズはドラッカーに対する恩義を忘れなかったと言っています。ドラッカーに恩返しするためには、自分の持っている知識を社会に還元していくことだ、とコリンズは話していました。
『ビジョナリー・カンパニー4』の解説にも書きましたが、コリンズは「ドラッカーは社会を生産的にすることだけを目的にペンを執ったのでしょうか? そうではありません。社会を生産的にするとともに人間的にするために書き続けてきたのです」と語っています。その「人間主義」の部分は、コリンズはドラッカーから受け継いだのかもしれませんね。
岩崎:コリンズはドラッカーに人生を変えられたんでしょうね。牧野さんも、ドラッカーに人生を変えられた一人じゃないですか?
牧野:変えられましたよ。出会った当時はそんなことまったく考えられなかったですけどね。僕がドラッカーにインタビューした後、クレアモントに家族で移住して、妻がドラッカースクールに留学して「ドリス・ドラッカー奨学金制度」の第1号になり、家族ぐるみのお付き合いが始まって……。
岩崎:僕もそういう意味では、ドラッカーに人生を変えられた一人です。『もしドラ』が多くの人に受け入れていただいて、いろいろな輪が広がっていった。ドラッカー本人にはお会いすることはできませんでしたが、深く入れば入るほど面白い世界が広がっているんですね。
ドラッカーは何よりその人生が面白い。「ドラッカーの本はどれから読めばいいですか?」と聞かれることがありますが、そのとき必ず勧めるのが、牧野さんが日経新聞の「私の履歴書」を通じてかかわった『ドラッカー自伝』と、『傍観者の時代』というドラッカーが書いた自伝の2冊なんです。
牧野:おっしゃるとおりですね。私も「私の履歴書」を担当したとき、いろいろ読んで一番面白かったのが『傍観者の時代』でした。
岩崎:そうなんですよ! 『もしドラ』を書いていたときは、『私の履歴書』を読んでいなかったから、実はドラッカーがどういう人物かということをまったく知りませんでした。その後、ドラッカーという人物の歴史を知ることが面白くてのめりこんでしまったんです。
ドラッカーは世界恐慌や第二次世界大戦などを現場で体験しています。ユダヤ系オーストリア人ですが、ナチスの勃興に直面してアメリカに移住していますし、初めての著書『経済人の終わり――新全体主義の研究』では、まだ勢力を拡大する前のナチスの隆盛からその滅亡に至るまでをも予言しています。そんな地獄の体験からマネジメントを考え出した。また、マネジメントの先のイノベーションというものが必要だと考えていた。そのドラッカーの歴史と考えの経緯みたいなものが面白いと思ったんです。
「不適切な人材」はバスから降ろすべきか?
人間主義といえば、『もしイノ』の中に、コリンズが『ビジョナリー・カンパニー2』で述べている「人材は最重要の資産ではない。適切な人材こそがもっとも重要な資産」という部分が登場します。つまり、「不適切な人材はバスから降ろすべきだ」という主張で、『もしイノ』の登場人物たちがそれにショックを受けるシーンがあります。これはドラッカーの「人こそ最大の資産」という考え方を覆すものです。
岩崎:コリンズと会った機会に、そのことについて質問してみたんですよ。つまり、本当に不適切な人材をバスから降ろしてしまっていいのかと。バスというのは企業や組織の比喩で、「バスから降ろす」というのは、やめてもらうということですよね。
牧野:コリンズの答えにすごく興味があります。
岩崎:コリンズは、「その人にはまた別の乗るバスがあるんだ」と言っていました。その人にとってはそのバスは適切じゃない。また乗るべきバスがあるから、降ろしたほうがその人のためになるということを言うんです。
岩崎:コリンズは社会の人的資源の最適配分を考えているわけです。それはよくわかります。もしここに若い頃のベートーヴェンがいたとして、「絵描きになりたい」と言っていたら、僕は「君は音楽家になるべきだ」と導いてあげたいですよね。明らかに音楽家の才能があるのに、絵描きになりたいと考えるような状況は不幸だと思うんです。
牧野:それは岩崎さん自身がベートーヴェンのマネージャーの立場だったらということですよね。
岩崎:そうですね。
牧野:『もしイノ』の中で、登場人物の一人がバスからいったん降りて、また戻ってきますよね。これは今おっしゃっていた部分のことなんでしょうか?
岩崎:そうです、そうです。それは一つの答えになるんじゃないかと考えて書いた部分です。つまり、組織へのアジャストの仕方ですよね。マネージャーの力で人材の配置を正すことで、人的資源がより活かされる。これがマネジメントの重要なテーマだと思ったんです。ドラッカーの『マネジメント』には、全ての人がマネージャーたるべきということが書いてあるんですけど、やっぱりマネージャーに向いていない人はいると思います。でも、マネージャーという形でなくても組織の中でアサインされる人がいてもいい。それを物語の中で描こうとしました。
居場所を見つけることが“イノベーション”につながる
牧野:コリンズは「まず人選ありき(ファースト・フー)」という表現をしています。ここは『もしイノ』の野球部誕生の物語とそっくりです。何をするべきかが決まっていないのに、人選がどんどん進んでしまうのですから。コリンズにしてみれば、まず人選をきちんとしていれば、何を目的にすべきかはおのずと決まるということなんです。
これと密接に絡んでいるのが、ドラッカーは『現代の経営』で、大恐慌時代に大きな企業が軒並み瀕死の状態になっている中、IBMは雇用保障を貫いて生き延びることができたというエピソードを紹介しています。要するに、従業員に仕事をそれぞれ見つけてあげたということですよね。新しい市場を開拓し、新しい仕事をつくって、従業員にアサインした。バスからいったん降ろして、別のバスに乗せたわけです。
岩崎:そうです。これまでは大企業の経営者だけがそういう役割を担っていましたが、知識社会になるともっと多くの人が役割を担わなければいけない。それこそ、女子高生ですらその役割を担わなければいけない時代が来るんじゃないかと。それがドラッカーが言っていた「知識社会の到来」ということなんだと思います。全員がマネジメントとイノベーションを行わなければいけない。そのための教科書として、ドラッカーは『マネジメント』や『イノベーションと企業家精神』を書いたんじゃないかという僕の見立てが、『もしドラ』や『もしイノ』を書いたきっかけになっているんです。
牧野:大きなテーマですよね。日本全体が閉塞状態に陥っているとき、古いものをどこかで捨てなければいけないけれども、現状に安住している人たちがいて、なかなか変えられないという問題がある。まさに高校野球もその一つだと思います。
岩崎:そう、そうなんです。そういう意味では、ドラッカーの本は30年前に書かれたものですが、まさに現代にぴったりだと思います。30年後のために書かれた本じゃないかと思いますね。
構成:大山くまお
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