矢部輝夫おもてなし創造カンパニー代表(左)と入山章栄早稲田大学ビジネススクール准教授(右)(写真:陶山勉、以下同)
矢部輝夫おもてなし創造カンパニー代表(左)と入山章栄早稲田大学ビジネススクール准教授(右)(写真:陶山勉、以下同)

 JR東日本で新幹線の清掃にあたる「JR東日本テクノハートTESSEI」は、米ハーバード大学経営大学院の教授らがこぞって見学に訪れるほど、興味深いビジネスケースとして注目されている。同社に在職中、新たに「おもてなし創造部」を作り「3K職場」と言われた新幹線清掃の仕事を、見事に輝く職場へと変えた矢部輝夫おもてなし創造カンパニー代表。入山章栄・早稲田大学ビジネススクール准教授が、矢部氏が組織改革やスタッフのモチベーション向上のために具体的に何をやったのか、根掘り葉掘り聞いた。今回はその前編。(構成は片瀬京子)

入山章栄氏(以下、入山):JR東日本の新幹線清掃を担う、JR東日本テクノハートTESSEIの新幹線お掃除チームは、そのモチベーションの高さで最近メディアの注目を集めています。テレビ番組で特集されることも多いですし、『新幹線お掃除の天使たち 「世界一の現場力」はどう生まれたか?』(遠藤功著、あさ出版)などの本も好評です。しかも、実は日本国内だけでなく、海外からも注目されてきました。

 米ハーバード大学経営大学院のMBA(経営学修士)コースでも、TESSEIのケーススタディは大変人気があるということです。世界のマネジメントの世界で、TESSEIの一体何がそれほど多くの人の関心を高めているのだと思いますか。

矢部輝夫氏(以下、矢部):多くの人には、正確に完璧に、礼儀正しく、そしてモチベーション高く掃除をするのが信じられないようですね。これまで、ハーバードのビジネススクールやCNN、それからイギリスやオランダ、マレーシア、エジプトなどの機関から取材を受けましたが、必ず「なぜそこまでやるんだ」と聞かれます。

入山:ハーバードで注目されているのは、TESSEIのやっていることが、実は世界最先端だからでしょうね。人を動かすにはお金やペナルティが必要だというウォール街的な従来の価値観が、欧米で少しずつ変わってきているからです。

売り上げを伸ばすのは、従業員の幸せのため

 若い人は、お金はさておき、自分はどういう人間で、どういう仕事をしたいのかを考える方向に来ていますし、学校側も考えさせようとしています。

矢部:TESSEIを「最先端」とおっしゃっていただきましたが、近江商人の「三方よし」、「売り手よし、買い手よし、世間様よし」、で言っていることはまさにCSR(企業の社会的責任)であり、従業員満足です。つまり日本には、もともとそういう文化があったんですよ。

 企業の目的には「売り上げを伸ばす」というものがありますが、それは、従業員の幸せを追い求めるという会社の使命があるからじゃないんでしょうか。

 話は飛びますが、戦国時代の武将は、戦いで結果を出せないと死んでしまいますよね。たとえば織田信長には、傍若無人な強烈な個性の持ち主で、だからこそ最後は明智光秀に殺害されたという印象がありますが、でも、あの人はとても人を大事にした人ですよ。

入山:実は史実では、そうらしいですね。

矢部:秀吉の奥さんの寧々さんにも優しい言葉をかけています。戦いで最も大事なのは兵隊、人ですから、締めるところは締めつつも、気を遣うところには遣っていました。

入山:近江商人も戦国武将も持っていた、人を大事にする心を日本企業が忘れてしまっているのはなぜでしょうか。

矢部:文明開化で欧米に目が向いたからでもあるし、QC(品質管理)手法など米国流のやり方を取り入れ過ぎたからでもあるでしょう。といったことを、入山さんもどこかでおっしゃっていませんでしたか。

<b>矢部輝夫(やべ・てるお)氏</b><br/>合同会社おもてなし創造カンパニー代表。前JR東日本テクノハートTESSEIおもてなし創造部長。東日本旅客鉄道「安全の語り部(経験の伝承者)」。1966年、旧・日本国有鉄道入社。以後、電車や乗客の安全対策を専門として40年勤務し、安全対策部課長代理、輸送課長、立川駅長、運輸部長、指令部長の職を歴任。2005年、鉄道整備株式会社(2012年に株式会社JR東日本テクノハートTESSEIへ社名変更)取締役経営企画部長に就任。2011年に専務取締役、2013年同退任、おもてなし創造部長(嘱託)。2015年、同顧問を経て退職、合同会社「おもてなし創造カンパニー」を設立、現職。
矢部輝夫(やべ・てるお)氏
合同会社おもてなし創造カンパニー代表。前JR東日本テクノハートTESSEIおもてなし創造部長。東日本旅客鉄道「安全の語り部(経験の伝承者)」。1966年、旧・日本国有鉄道入社。以後、電車や乗客の安全対策を専門として40年勤務し、安全対策部課長代理、輸送課長、立川駅長、運輸部長、指令部長の職を歴任。2005年、鉄道整備株式会社(2012年に株式会社JR東日本テクノハートTESSEIへ社名変更)取締役経営企画部長に就任。2011年に専務取締役、2013年同退任、おもてなし創造部長(嘱託)。2015年、同顧問を経て退職、合同会社「おもてなし創造カンパニー」を設立、現職。

入山:はい、講演をするときには必ず最後にこの話をしています。拙著『ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学』でも触れていますが、最近の経営学は科学分析的になってきています。

 ただ、その科学的な研究の結果分かってきたのは、人間らしさ、人間くささを組織に取り戻すことが結局は一番大事だということなんです。これは本には書かなかったのですが…(笑)。ここで私が言う人間くささとは、具体的には、ワイガヤのオフィスや、経営者が現場に行くとか、タバコ部屋とか、そうしたことです。

矢部:なるほど。私たちの会社には、アラウンド還暦、アラ還の女性が多いのですが、私は彼女たちを職人だと思っています。この職人という考え方も、日本独特のものです。

 「職人」という人たちは、頑固で融通が効かないといわれる一面がありますが、損得を抜きにしていいものを作ろうとする。そうした「職人」を大事にする文化が日本にはあったと思うんです。それを日本の大企業では忘れてしまっているんじゃないかと思う時があります。

 でも『下町ロケット』ではないけれど、中小企業には職人が残っていて、その職人が、日本の技術や経済を支えています。そこでは、日本の文化が脈々と受け継がれており、日本の伝統、強さのベースになっているのだと思います。

入山:アラ還の女性たちは、何の職人なのでしょう。

アラ還女性は「おもてなしの職人」

矢部:おもてなしを追い求めるという意味での職人です。人を思う心のプロです。おもてなしというと、若い女性がするというイメージがあるかもしれません。恐らく滝川クリステルさんが東京五輪招致で展開したフレーズ「お・も・て・な・し」の影響もあるでしょう。

 しかし、うちのアラ還の女性たちは、旦那さんが入院したので自分が働いて子供を育ててきたとか、両親の介護をしてきたとか、さまざまな辛い経験を積んでいます。しかも女性の場合は、自分自身のせいではなく、自分以外の人の理由によって人生の選択を迫られてきた経験が、豊富な人が多い。おもてなしというものを「相手の気持ちを思いやること」と定義するならば、そうした経験を持つ人たちの力は大きいと思います。

入山:若い人にはできない、と。

矢部:若い人にもできると思いますよ、でも、ある程度の人生経験がないと、本当に喜ばれるようなおもてなしはできません。お客様サポートの仕事はたいていそうでしょう。

入山:すると、アラ還の女性たちがいきいきと働ける職場をどう作るかが、これからの企業ではとても大事になると思うのですが、でも、アラ還の女性をマネジメントするとなると、難しいところもありますよね。

矢部:基本的には野放しですが(笑)、この人たちはこういう人たちなんだと最初から色眼鏡で見ないようにし、積極的に関与していくことが大切です。私は、怒るときには怒ります。怒るときには九州弁が出るので「何すっと、おまえ」とはっきり言う。普段は矢部ちゃん、矢部ちゃん、と言われていましたが、怒ると怖いとも言われていました。

入山:矢部さんはよく現場に出られていますが、現場のあら探しをしているわけではないですね。

矢部:していることはほとんど激励ですよ。

入山:なるほど。

矢部:作業しているところに姿を見せるだけでも「私たちを見ていてくれる」という激励になりますからね。ただできるだけ「頑張ってるね」とか声はかけるようにはしました。

入山:アラ還女性を怒ったり褒めたり、毒蝮三太夫みたいです。

矢部:実は、褒めるのは難しいんですよ。叱るのは簡単だけど、褒めるのは本当に難しい。口で「いいね」と言うだけなら簡単ですが、口先だけなのはすぐに気付かれますし、「この人、何も知らないくせに何言っているの」ともなりますからね。だから褒めるときは、本気で褒めなくてはならない。

入山:アラ還女性を上っ面だけで褒めると、関係が悪くなることもありますね。

矢部:調子づかせることもあるし、「あの人と矢部っちはデキている」と言われたこともありますよ。

入山:(笑)

矢部:いやいや本当に。3人くらいに言われて、これはまずいと思いました。こうなると、チームの和を乱しますから。ですから、褒めることは周りで一緒に仕事をしている仲間に任せることにしました。それが現場の優れたサービスを取り上げる社内の「エンジェル・リポート」なんです。普段のことを知っていないと、きちんと褒めることはできません。

激励は褒めることとは違う

入山章栄早稲田大学ビジネススクール准教授
入山章栄早稲田大学ビジネススクール准教授

入山:激励とは褒めることではないんですね。

矢部:自分の若いときもそうでしたが、やはり認められたいという気持ちは誰にでもありますから。認められないと、疎外感を抱いたり孤立したりします。

入山:そうですね。

矢部:ただ、認めるにも情報収集が必要です。そのためには、現場の誰が何をやっているか、知らなくてはいけません。だから情報収集のツールを作りました。エンジェル・リポートもその一つです。

 よく、現場を知りたければ現場でインタビューしろとかヒアリングしろとか言いますが、そんなことをしても、現場の問題は絶対に分かりませんよ。会議室に呼んで「最近どうだ」と聞いたって、緊張させるだけですし、いい答えしか出てきません。

 仮に悪い話が出てきても、それは全体のごく一部。偉い人が現場を見て何かを見たり聞いたりしても、それもごく一部に過ぎないことを忘れてはいけません。実際の現場では、365日、いろいろなことが起きています。

入山:現場で得た情報を元に、改善指示を出すことはありますか。

現場で見たことから改善指示をするのはダメ

矢部:現場で見聞きしたことを本社に持ち帰り「すぐ改善しろ」と指示を出すようなバカなことは、絶対にやりたくない。

入山:興味深いですね。現場に行って後で指示を出して満足している経営者はたくさんいそうですが。

矢部:そんなことをしても、本社の部課長が振り回されるだけです。それでなくても忙しいのに。

入山:偉い人が視察に行くとなると、案内もしなくてはならないですしね。

矢部:そうなんですよ。現場で気になることがあったら、現場の所長やインストラクターに言うだけでいいんです。

 では本社は何をするかというと、座して待っていていい。そして、エンジェル・リポートなどの中から、本社がすべきことを一生懸命考えて、投資・人事・ルール作りをすればいい。本社が現場と同じことをしてはダメなんです。

入山:アラ還女性に話を戻しますと、シルバー人材の活用はこれからの企業の大きな課題ですね。

矢部:銀の卵ですよ。現在は定年退職という制度があって、ある年齢に達したら強制的に仕事が奪われます。その一方で、人手不足と言っています。

 定年という制度はいつできたのか。江戸時代は、若いうちに一生懸命働いて、その後は隠居して江戸時代の文化を支えた人たちもいますが、定年制度なんてなかったはずですよ。明治からじゃないんですか。

入山:文明開化によって、輸入された文化なんですね。

矢部:そうかもしれません。それにこれまでは、若い人がたくさんいたので、年功序列で給与が高くなった人を辞めさせて、若い人を雇うにもいい制度でした。しかし今は、辞めた人の代わりがいません。同年齢でもものすごく元気で若い。それなのに、定年退職だけは残っている。

 TESSEIでは63歳で定年ですが、私が来てから元気が良くてやる気があれば、原則65歳まで働ける制度に変えたのですが、それ以上も働けるようになっています。65歳過ぎても働いている人もいますし、以前は70歳過ぎの人もいたんです。職人は、いくら歳をとってもいいんです。

 入山さん、新しいレストランができたと想像してみてください。内装が素晴らしくて雰囲気がいい。ウエイトレスさんの笑顔も対応も心地よい。でも、もし料理がおいしくなかったらどう思いますか?

 味が良くないのに笑顔で「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」「またのお越しを」と言われても、困ってしまうでしょう。レストランで肝心なのは、料理です。おいしくて、人の心をあったかにする料理なんです。

経営の体幹を鍛える

入山:清掃で言えば、まず早くて正確で完璧な掃除があって、さらに挨拶も素晴らしいということですね。

 確かに、TESSEIはおもてなしの会社ですが、世間で言われる、言葉だけが先行したふわふわしたおもてなしとは一線を画しています。

矢部:上っ面の「おもてなし」だけで終わってしまう会社があるとすれば、それはおもてなしをしっかり定義せず、感覚的に「こういうものだ」と思っているせいです。私たちは「我々の最高のおもてなしは、早くて正確で完璧なお掃除だ」と言い続けています。これが私たちの本業であり、会社の体幹、芯になる大切な仕事ですからね。

入山:なるほど。体幹をまず鍛えないとならない。

矢部:そのための、厳しいルールやマニュアルがあります。私はまずこれをきちんと守ることのできる組織にしようと思いました。このことが強い組織をつくり、その後のさまざまなチャレンジを可能にしたと思っています。

入山:厳しい方から入っているんですね。

矢部:5Sとは、整理、整頓、清掃、清潔、しつけのことで、安全、サービス等を創造するための会社の基礎となる要素なのですが、なぜここにしつけが入るのかというと、会社組織には秩序が必要だからです。

入山:しかし、JR東日本からTESSEIに合流した矢部さんが、いきなりしつけと言って浸透するのですか。

矢部:もともと鉄道の世界はしつけの世界で、出された指示は聞けというのが基本です。しかし、私がTESSEIに来た当初の現場の組織形態は、指示の通りにくい、中途半端なものでした。

入山:どんな組織だったのでしょう。

矢部輝夫代表の著作『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4860636570/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4860636570&linkCode=as2&tag=n094f-22" target="_blank">奇跡の職場 新幹線清掃チームの働く誇り</a>』(あさ出版)
矢部輝夫代表の著作『奇跡の職場 新幹線清掃チームの働く誇り』(あさ出版)

矢部:私どもはチームで仕事をします。1チームの構成は22人なのですが、そのチームのリーダーとして主任が3人いるトロイカ方式でした。主任という立場ですと、部下に対して「ごめんね」と言ってしまうような甘さが生まれます。ですから、3人の主任の内の一人を、管理者にしました。管理者手当が必要になるので、お金が多少かかりますが、しかし、管理者には21人の部下を徹底的に厳しく指導させました。

 これがチューター制度です。また、22人のチームは全部で20くらいあるのですが、それを束ねて統括するインストラクターも増強しました。この人たちにきちっと指導をしてもらって、本社はバックアップに専念します。本社がすることは、投資と人事とルール作り。あとは現場に任せます。と、口で言うだけでなく、そうなるように組織を作り替えました。

入山:しつけも現場に任せたのですね。

しっかりした上下関係が大事

矢部:そうです。

入山:そのためには、しっかりした上下関係が必要だと。

矢部:そうなんです。でも、この部分はあまり注目されませんし、見学にいらした企業の方も「縦型ではなく、フラットな組織にしないとならないのでは」とおっしゃいますが、それでいいならいいでしょう。ただ、我々はこうやろうと決めましたし、そうしないとこの組織は動かないのです。

入山:インストラクターやチューターに抜擢された方々は成長しますか。

矢部:もちろんです。少し時間はかかりますが、リーダーの自覚を持てば、リーダーとして育ちます。リーダーは組織にとって極めて重要な役割を担います。そして現場第一線のリーダーこそが会社浮沈のキーマンです。手取り足取り教育することだけではなく、苦労しながらリーダーシップを身につけてもらう。私自身がそうした考えをもつ先輩たちに育まれてきたからです。(後編に続く)

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