ここしばらく、アメリカ合衆国(以下アメリカ)の大統領候補指名選挙に注目している。

 振り返ってみれば、前回のオバマさんの時も、その前のブッシュさんがゴアさんと接戦を演じた選挙戦の折りも、熱心に経過を追いかけていた記憶がある。

 で、いつの間にやらアメリカの選挙システムや州単位での票読みの特徴や、民主党と共和党の主張の違いならびに支持母体の変遷などなどについて、雑多な知識をかかえこんだ変なおじさんになっている。

 今回の大統領選についても、自分としては珍しく、こまごまと勉強している。

 アメリカ政治のアナリストになりたいとか、人前に出ていっぱしの解説をカマしたいとか、そういう野心を抱いているのではない。

 ただ、興味と関心のおもむくままにバックナンバーを掘り出しにいったり、雜誌の特集ページをクリップしたり、各方面の資料を収集しているうちに半可通になってしまったということだ。

 感触としては、サッカーにハマりはじめた当時の感覚に近い。

 お気に入りの選手のプロフィールを暗記して、世界各国にあるリーグのチーム名とそのチームが拠点を置いている都市の名前をマトリックスにハメこんで、フラッグの模様とチームカラーを頭に叩き込む。私はたぶん、その種の、体系を為さない知識を拾い集めるみたいにして暗記する過程そのものが好きなのだと思う。で、そうやって頭の中に詰め込んだ知識を、一から順番に並べてみせてテーブルの向こうに座っている人間をびっくりさせるみたいな厄介なマナーを、どうしてもあきらめきれなかったりしている。まあ、イヤなオヤジです。

 ただ、サッカーの場合でも同じことなのだが、然るべきカリキュラムに沿って勉強したわけでもなければ、芝の上で実際にプレーしたわけでもない素人が、ただただ量としての知識だけを頭の中にひたすらに溜め込んでいる状態は、実は、色々な意味で使いモノにならない。

 私の場合で言うと、原稿で失敗するのは、そういう、自分がなまじの知識を持っている分野である場合が多い。

 素人の臆断は、薄っぺらであることを免れ得ない。
 が、それはそれでかまわない。

 書き手が謙虚な姿勢と素直な書き方を心がけてさえいれば、無知そのものが、そんなにひどい結果を呼び寄せることはない。書いている内容がうまく展開した場合には、結果として、素人ならではのまっすぐな疑問を投げかけることができる。そうなればしめたものだ。もちろん、これは分野にもよることだし、一概には言えない話なのだが、とりあえず、正しい疑問を投げかけることのできている原稿は、時に、正しい答えを提示している原稿よりも、読者を魅了することもあり得る。

 ところが、書き手が、テーマについてあらかじめある程度の情報を持っているケースでは、彼は、虚心にテーマに向かいにくくなる。と、出来上がってくる原稿は、薄っぺらな上に小生意気で、しかもあらかじめの偏見から外に出ようとしない、始末に負えないものになったりする。

 アメリカ政治について、いま、無警戒に思うところを書くと、おそらく、私は、この半年ぐらいの間に色々なところから仕入れてきた知識を、右から左に受け売りするタイプの、どうにも説教くさいテキストを生産することになるはずだ。

 できれば、それは避けたい。

(写真:AP/アフロ)
(写真:AP/アフロ)

 なので、ここでは、ドナルド・トランプ候補が共和党支持層の間で高い人気を得るに至った理由と、そのトランプ人気の盛り上がりを、ほんの半年前まで、ほとんどすべての専門家が予測できていなかった理由に絞って、自分なりに考えたことを原稿にしてみたいと考えている。私の分析が当たっているのかどうかは、たいした問題ではない。というよりも、どうせ当たっていない。

 大切なのは、当たっているのであれ外れているのであれ、いまアメリカで起こっていることについて、自分が活用できる限りの情報と知力を駆使して考えてみることだ。

 というのも、いまアメリカで起こっていることは、いずれなんらかの形で、わが国の政治や外交や社会のあり方に、巨大な影響をもたらすに違いないからだ。

 私がこの10年ほど、アメリカから目が離せなくなっている理由も、つまるところ、あれこれと目先を変えた切り口で伝えられてくる日々の政治報道よりも、アメリカの大統領選の結果の方が、実質的な影響力という意味ではむしろ重要であるかもしれないことを、私自身が肌で感じ取っているからなのだと思っている。

 実際、民主党と維新の会の合流の帰趨や、参院選に向けた各党の政策スローガンや、アベノミクスの成否は、いずれも半年内外の時間的射程しか持っていない瑣末な話題に過ぎない。それに比べれば、アメリカ経済の行方や、アメリカ大統領選の結果や、アメリカ社会の変化は、どれをとっても、この先10年の日本の国策を変えるに足る、はるかに重要な問題をはらんでいる。

 たとえば、トランプ氏が大統領になったら、TPPは無事だろうか。普天間基地の移設は、現状の方針のまま粛々と進むのだろうか。普天間どころか沖縄に駐在している米軍そのものが撤退する可能性さえ出てくるのではなかろうか。集団的自衛権も、安保条約も、果ては、憲法さえも、どういう方向に転ぶことになるものなのか、皆目見当がつかない。

(写真:The New York Times/アフロ)
(写真:The New York Times/アフロ)

 ヒラリー・クリントン氏が大統領に就任している形で迎える近未来とて、すべてがわれわれの思惑通りに進むとは限らない。TPPはもちろん、外交も、国防も、北朝鮮や中国との関係も、微妙な力加減の変化で、ひっくり返るかもしれない。

(写真:AP/アフロ)
(写真:AP/アフロ)

 そう考えれば、やれ民主党の新しい名前がどうしたとか、国会答弁で誰がどんな失言をやらかしたかみたいなニュースより、退屈したオヤジは、スカパー経由で海外リーグのサッカーに熱中するみたいにして、CNNの大統領選中継にかじりつくことになる。当然の流れではないか。

 実際、CNNの放送は、3割かそこいらしか聴き取れない英語のハンデを差し引いても、それでもなお、すべてが予定調和の中で進行している日本の地上波放送のニュースショーよりはずっと面白い。私は主にそっちを見ている。いまは、同時通訳がつくチャンネルもあるし、BBCもあればCSの24時間ニュースもある。

 トランプ氏の人気については、何人かの海外の専門家が、トランプ氏への支持である以上に、現状への怒りの表明だという見方を繰り返し述べている。

 で、日本の専門家も徐々にその見方に沿う流れになっている。
 私も、大枠ではそう思っている。
 ただ、この見方は、穏当なようでいて、実はあまり多くを説明していない。

(写真:AP/アフロ)
(写真:AP/アフロ)

 というのも、

「この結果はA氏の人気そのものではなくて現体制への反発を反映したものだ」
「この選挙結果はB党への支持ではなく現状への不満のあらわれと見るべきだ」

 という言い回しは、政局や政治情勢を分析することになっている専門家が、自分の予想をハズす度に繰り出されてきた万能フレーズみたいなもので、サッカーの解説で言うところの

「決定力不足が課題ですね」

 ぐらいな頻出便利用語とそんなに遠いものではないからだ。

 ただ、アメリカ国内を超えた、世界全般のここしばらくの雰囲気から推し量るに、排外主義を唱える政治家が一定の人気を得るタイミングに来ていることは動かしがたい事実だと思う。

 トランプさんは排外主義だけの候補者、ということでもない。経済格差の問題や医療制度にも独自の考え(いずれも、現状から考えれば、野党である共和党候補の政策であることを差し引いて考えても無茶な話ではあるが)を打ち出しているし、発言のいちいちに尖ったユーモアがあったりして、たしかに人気者になるだけの資質は備えている。

 とすれば、「現状への強烈な不満」を糾合するキャラクターとしては、うってつけなのであろう。敢えて言えば、トランプ氏の活躍によって現状の政治を担う人々に「いやがらせ」ができれば、支持者としてはそれで満足なのかもしれない。

 私が今回の選挙戦を見ていて感じるのは、アメリカのこれまでの大統領選挙を支えていた「枠組み」というか、「お約束」の部分が、かなりの部分で崩壊しているように見えるということだ。

 民主党は、なんとか主流派の推すクリントン氏で落着することになりそうだが、それでも、一時期は、ほかの民主党候補を押しのけて、社会民主主義者を自称するアウトサイダーであるバーニー・サンダース氏が優勢を伝えられるほどの接戦に持ち込まれていたりした。もちろんトランプ氏は、共和党の主流とはほど遠い候補だ。

(写真:ロイター/アフロ)
(写真:ロイター/アフロ)

 そういう意味で、ここまでの指名候補争いは、民主、共和両党の党内での主流派争いというよりは、党員と局外者による前例の無い戦いになっている感じがある。

 つまり、民主、共和両党ともが、米国民の多数派の民意を吸い上げる装置として、機能しなくなっているということだ。

 これは、わりとおそろしいことだ。

 アメリカみたいな巨大国家をこれまで200年以上にわたって支えてきた2つの政党が、思うように選挙戦のための候補を按配することができなくなって、市井の一言居士みたいな男の進出を許している。

(写真:ロイター/アフロ)
(写真:ロイター/アフロ)

 ということは、選挙というブラックボックスは、それを支えている政治勢力が制度疲労に陥るや、すべての関係者にとって意想外の結果をアウトプットする装置になるということだ。

 トランプさんの言っていることがどこまで妥当で、打ち出そうとしている政策やプランが、アメリカや国際社会にとってどれほど有益であるのかという点を考えて投票する有権者が多数派を占めているのであれば、おそらくトランプ氏がそのまま大統領になることは無い。

 が、そういうこみいった話とは別に、「人間としての正直さ」だったり、「痛快さ」だったり、「カネを稼ぐ男としてのたくましさ」だったり、「反射神経の鋭さ」だったり「打てば響くアメリカンジョーク配給者としての得点の高さ」で投票する人たちの比率が高まれば、彼は相当数の票を集めることになる。

 私は、トランプ氏と橋下徹・前大阪市長を同列に並べるつもりはないし、彼らが同じタイプのキャラクターだと決めつけるつもりもないが、この二人が政治家として人気を高めるに至った経緯には、共通するところがとても多いと思っている。

 内向きになっている国なり自治体の有権者は、通常の意味で言う政治家ではなくて、外の世界に毅然と対峙するタイプの、悪く言えば排外的な、良く言えばたくましい、戦闘的なリーダーを求めるようになる。

 相手が誰であれ、戦闘的なリーダーはたくましく見える。

 優柔不断であったり、煮え切らなかったり、妥協的だったり、ダブルスタンダードに見えることの多い調整型の政治家よりは、決然としていて、断固としていて、毅然としていて、秋霜烈日な専横型の経営者の方がリーダーとして格上に見えるのは、リーダーを選ぶ側の人々が、代表者よりもボスを、上司よりも上官を、仲間よりも父を求めている時に起こる現象で、結局、既存の政治的な枠組みが溶解しはじめていたり、階級的な怨念が噴出口を求めてさまよっていたり、外部からやってくる何かが伝統的な社会の秩序を混乱させているように見える時、われわれは、排外主義を選択しがちだということなのかもしれない。

 トランプ氏への支持が、必ずしもトランプ氏の政治的メッセージそのものに向けられたピンポイントの支持ではなくて、より広範な社会的な怨念や政治的な怒りを反映した現状に対する「NO」であるという分析は、結果があらわれつつある現状から振り返る限りにおいて、当を得たものだと思う。

 が、より大切なのは、ここで言われている「怒り」なり「怨念」なりに対応する適切な政策を、共和党が用意出来ていなかったことについての分析だろう。

 同じことは、日本の政治についても言える。

《日本経済新聞社とテレビ東京が2016年2月26~28日にかけて行った電話世論調査(RDD方式)によると、安倍政権の経済政策「アベノミクス」を「評価しない」と答えた人は50%で、「評価する」の31%を大きく上回った。内閣支持率は47%で、前回16年1月の調査から横ばい。--略---》(こちら

 ごらんの通り、「アベノミクス」への評価がここへ来て急激に低下しているにもかかわらず、内閣支持率の方は下がっていない。ということは、野党の側がアベノミクスに代わる有効な経済政策を打ち出せていないということだ。

 現状に不満があるのだとして、で、既存の野党にはもっと不満があるのだとしたら、人々はどうするだろうか。普通に考えれば、そのまま無気力に与党に投票するか、投票そのものを棄権することになる。

 が、ここにトランプ氏のような、政策や政治的メッセージそのものの上ではともかく、不満を糾合し、怒りの矛先を集め、怨念に出口を与え、わかりやすい敵を提示することで感情を煽ることのできる候補者が登場したらどうだろうか。

 私は、アメリカの選挙の結果を眺めながら、何年後かのうちの国で起こるかもしれない、もっといやな出来事に思いを馳せている。

 内容は詳述しない。
 どうせ妄想なのだし。
 ジョーカーが最後まで出てこないことを祈っている。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

友人のお嬢さん(高2と中2、アメリカ帰国子女)たちは
トランプ氏がCNNに出ると、無意識に英語に戻って
「この人を大統領にしちゃダメ!」と画面に叫ぶそうです。

 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。おかげさまで各書店様にて大きく扱っていただいております。日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。

■変更履歴
記事掲載当初、本文中で「普天間基地の建設」としていましたが、正しくは「普天間基地の移設」です。お詫びして訂正します。本文は修正済みです [2016/03/04 12:20]
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この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。