田中良平 切り絵・切り紙制作所

Ryohei Tanaka`s Killer Cuts&Killing Shapes

と、あるタイプの絵の描きかた。

2015-08-12 22:06:24 | つぶやき
絵の描きかた。
と、あるタイプの絵の描きかた。
何処へたどり着くのかわからない描きかた。
そういう描きかた。
考えない、というわけでもない。
脳は使う。
何処かへたどり着こうとはする。
ただ最初にアイデアありきではない。
白い紙がある。
気持ちがある。
絵を描こうという意思がある。
深呼吸する。
紙を触る。
紙の大きさに触れる。
これからこれくらいの大きさの紙に絵を描くというのを確認する。
それは白い地図だ。
何か思い浮かぶ事もある。
でも何が描きあがるかはその時点ではわからない。
思い浮かべた何かに、何処かに近づこうとする作業ではない。
画材がある。
絵の具がある。
マーカーがある。色えんぴつがある。
紙に色をつけていく。
それは、脳内の反応。
経験値から導き出す気持ちのいい色。
その画面の場所。
しっくり来るところ。
正しいと感じる、もしくは間違っていないと思われるそういう色を置いていく。
跡をつけていく。
それは気持ちの表れ。
全て、絵は心の鏡。
目に入る画材の山から次に気持ちのいい色を拾って、あてる。
その気持ちよさを見つけるのが集中力。
そこがアーティストのスキル。
ものすごく適当にやってるように見える。
時には手元さえも見ずに画面にマークをつけていく。
ただぐちゃぐちゃやってるようにも見えるかも。
だが、そこがコントロール。
一つひとつバランスをとっていく。
右へ左へ。
上へ下へ。
細く、太く。
細かく、大胆に。
線を重ね、色を被せ、奥行きを作っていく。
深みを増していく。
勢いを出したり、リズムを作ったり、失敗したようなアクションを更なる強度に変換させたりする。
undo不可だからこその深みと強度を持ったりもする。
そうやって「絵」を作っていく。
「画」を構成していく。
自分を納得させながら進んでいく。
基本的に、二歩先は一歩進まないと見えない。
技術と理解のある行き当たりばったり。
進んでいくと、何かが見えてきたりする。
何かに見えてきたりする。
白かった地図に、色がつき、線が引かれることによってゴールが浮かび上がってくる。
届こうとしているのは、自分の信じる美しさの具体例だ。
誰が何と言おうと、そこが今の自分から染み出た「絵」の、これでよしと決めた着地点だということ。
嘘のない到達点であると。
と。
そういう気持ち。
ある。
少なくともそういう気持ちになるまでは絞った。
絞った作品を並べた。
だが。
それは、認められるとか、売れるとかとは、関係ナイチンゲール。
ある意味、そんな想いを持って描いた絵は、そんな気持ちを携えて見せた絵は、実はオイラのキチガイ証明書であるともとれる。
だってしょうがないじゃない。
オイラはそれを美としたのよ。
というより、それしか出ないのよ。
それが出たのよ。
そんな、あんな、今言ったような描きかたしたらさ。
でも、それしか出来なかったのよ。
そういう絵描きなのよ。よよよ。
そうしたら、どうしたってオイラの心象風景みたいになりまさぁ。そんな自動書記みたいな描きかたしたらさ。
やってることはホントの意味でシュールリアリストっぽい。
シュールリアリストのつもりはないけど。
願わくは、オイラの絵を面白いとか、美しいと思ってくれる人が現れんことを。
んで、あわよくばそんな奇特な人が、更に奇特な行動に出て、オイラの作品をお買い上げにならんことを。
アーメン。

新宿伊勢丹アートの畑2015
期間は8月12日(水)から17日(月)です。
15日の土曜日には、朝11時から夕方6時頃まで、ギャラリー前でライブペイントをします。それこそ、最高傑作を作るつもりで挑みます。どうぞよろしくお願いします!



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