夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

有情非情悉く兄弟姉妹である

2016年01月26日 19時42分41秒 | 日記・エッセイ
有情非情悉く兄弟姉妹である

一月二十二日(金曜日)は長崎に出講してお話をさせて頂きました。

神は霊であり、吾々は物資的な存在では無く、霊的存在である。
また物質、植物、動物、と見えているもの、天地の万物は、本当は神のいのち、仏のいのちの顕れたものであるから
それに感謝して拝む心がなければならないのである。
人間、天地万物の一切のものは神のいのち、仏のいのちの顕れだと理解が出来るとき、
有情非情悉く天地一切のものは兄弟姉妹であることが解るのである。
それ故に兄弟である畑の大根を祝福して感謝するならば、その祝福に感応して、豊かなる美味しい大根が出来るのである。

瞑想、心を集中してお経を読誦している時などに雑念が浮かびますとの質問がありました。
道元禅師の言葉に『空手にして郷に帰る』と言う言葉があります。
これは全てのものごとに執着しないで、放ち去った時にその掌に無限世界(仏の世界)が乗るのであると云うことです。、
雑念が浮かびましたら、雑念はある意味で貴方のコンプレックスを解消するものであり、
貴方の敵ではありませんから、その雑念を握らずにまた執着せず、そのままにして本来の心に集中なされた良いと申しあげました。
雑念を握り、執着すると雑念が雑念を呼び収集がつかなくなります。
すべてのものと事との執着を捨て去ることが大切であります。
このようなお話をさせて頂きました。




一月二十三日(土曜日)は二十四日(日曜日)の大きなイベントである生長の家講習会の準備でした。
長崎市、諫早市、島原市の三ヶ所に分かれての開催でした。
諫早駅から諫早文化会館までの送迎用のシャトル便の係りでした。
明日は大寒波が襲来するとの予報でしたので三台のレンタカーを借りてガソリンスタンドでチエンの装着をして頂きました。
夕方から雪がちらつき始めました。


一月二十四日(日曜日)の朝起きて見ると車の上には雪が積もりまるで丸い亀のようになっていました。タクシーもバスも不通であり、三K先の送迎用の車庫まで吹雪く道を長靴で歩きました。
吹雪く中で講習会は開催されました。
私共のシャトル便もJR、島原鉄道、タクシー等全ての交通機関が不通になり、
開店休業の状態でした。
また午後十二時頃でも外が零下2℃と気温が上がりませんでした。


しかし私が御案内した八〇才を越えた女性の方が、この悪条件のなかでも自宅のマンションから三Kの道程を歩いて会場まで来られましたと連絡が入り。感動しました。



困難、困難に非ず

吾は目の前に起こって来る如何なる困難をも呪いはしないにである。
すべての困難は吾が魂を鍛え上げる鍵である。吾が魂を磨くヤスリである。
吾が魂が鍛えられ、磨かれ、光輝燦然と輝くようになったとき、
もはや、あらあらしい砥石は自分の魂に不必要になって来るのである。
従ってそのような困難は消えてしまうのである。








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