東京都港区にある青山一丁目の交差点から歩いてすぐのところに、植物工場で作った野菜の「八百屋」が登場した。運営しているのは、植物工場の企画販売を手がけるベンチャー、プランツラボラトリーだ。

<span class="fontBold">プランツラボラトリーのオフィスに設置した「八百屋」(東京都港区、写真提供:プランツラボラトリー)</span>
プランツラボラトリーのオフィスに設置した「八百屋」(東京都港区、写真提供:プランツラボラトリー)

 プランツラボラトリーの植物工場の特徴については、以前、この連載で詳しく紹介した(9月8日「東大とタッグ、『コロンブスの卵』の植物工場」)。ここでは本題に入る前にごく簡単におさらいしておこう。

 既存の植物工場が基礎をコンクリートで固めた建物の中で野菜を育てるのに対し、プランツラボラトリーはビニールハウスに似た構造の施設で作る点に最大の特徴がある。ハウスの中をアルミ製の薄い遮熱シートですっぽり覆うことで外界と遮断し、発光ダイオード(LED)照明で野菜を育てる。

<span class="fontBold">西東京市にあるビニールハウス型の植物工場(写真提供:プランツラボラトリー)</span>
西東京市にあるビニールハウス型の植物工場(写真提供:プランツラボラトリー)

植物工場のショールーム

 植物工場の常識を覆すようなこの施設の強みは、圧倒的なコストの低さにある。建設費用は「通常の植物工場の半分から3分の1」(湯川敦之代表)。建物に普通使う断熱材と比べ、室内に入ってくる熱の量が格段に少ないため、ランニングコストも安くなる。

 前回は触れなかったが、建物と違い、移設可能なのでリースの対象になるという利点もある。その結果、既存の植物工場と比べ、はるかに少ない元手で栽培を始めることが可能になる。プランツラボラトリーはこの仕組みを、東大の河鰭(かわばた)実之教授と共同で開発した。

 植物工場には頑丈で近未来的な建物の中で、環境を高度に制御するといったイメージがある。それとまったく違うこの施設のことを前回の記事では「コロンブスの卵」と表現したが、こんな簡単なハウスで植物工場が成り立つのかと疑問に思う人もいるだろう。それが現実に可能だということを示す意味も込め、工場野菜の八百屋「LEAFRU」を9月末にオープンした。

 いろんな野菜を売っているので「八百屋」と表現したが、本社も兼ねたオフィスに透明なパックに入った野菜がガラスケースに並ぶ様は、ショールームと言ったほうがぴったりする。ここでは実際に野菜を売っているが、プランツラボラトリーの本業は植物工場の企画と販売であり、その意味ではショールームの役割も兼ねた野菜の陳列ケースだ。

 店頭に出す野菜は日によってまちまちだが、品ぞろえは水菜、からし菜、ケール、パクチー、リーフレタス、ルッコラ、バジル、スイスチャード、トマト、ひよこ豆など。いずれも、西東京市にある工場で生産している。

繊維が柔らかく、えぐみが少ない

 特筆すべき点が2つある。1つは、上に記したような野菜の種類の多さだ。既存の植物工場でも様々な野菜を作ることは可能だが、現時点で商業ベースに乗っているのは、ほとんどがレタス。これに対し、プランツラボラトリーはコストを大幅に抑えることで、収益モデルの幅を広げた。

 もう1つは、トマトと葉物野菜を盛りつけたサラダセットだ。愛宕グリーンヒルズ(東京都港区)にある精進料理の名店「醍醐」の4代目店主、野村祐介氏が監修し、オリジナルのドレッシングも提供してくれた。盛りつけをするのも醍醐の厨房だ。野村氏がプランツラボラトリーの野菜を食べてみて、繊維が柔らかく、えぐみが少ない点を評価したことが、独自のサラダセットの発売につながった。プランツラボラトリーのヨモギの天ぷらを醍醐で出すこともあるという。

<span class="fontBold">精進料理「醍醐」の店主が監修したサラダセット(写真提供:プランツラボラトリー)</span>
精進料理「醍醐」の店主が監修したサラダセット(写真提供:プランツラボラトリー)

 これは極めて重要なことだ。もし、このサラダセットがおいしくなければ、監修した醍醐の信用にも響く。実際はその恐れがないと思ったからこそ、監修を引き受けたわけであり、工場野菜の品質にお墨付きを与えたことを示す。太陽の光を浴び、豊かな土と澄んだ自然の水で作った野菜が上だと思っている人が多いかもしれない。だが、「野菜本来の味」が何を指すのかはともかく、工場野菜の強みが生産の安定だけではないことを証明できた意義は大きい。

アイデアの将来性に出資

 事業の広がりはまだある。11月からは、スーパーの信濃屋の代田食品館(東京都世田谷区)に販売し始めた。バイヤーの要望は「レタス以外にしてほしい」。工場で作ったレタスはほかにたくさんあるからだ。納品しているのは、バジルやケール、パクチー、そして醍醐監修のサラダセットだ。

 プランツラボラトリーの収益モデルは野菜の販売ではなく、植物工場の企画販売だ。それにもかかわらず販路を開拓しているのは、交渉中の植物工場の売り先には食品とは関係のない企業が多いからだ。プランツラボラトリーが販路を作っておけば、工場のシステムも売り込みやすくなる。ちなみに、交渉中の10数社のリストを見せてもらったが、誰もが知る大企業ばかりだった。来年早々にも最初の契約が実現する見通しだ。

 と書くと、「まだ工場の販売実績のないベンチャー企業がなぜ青山で事務所を借りることができるのか」と疑問に思うかもしれないが、そこはスタートアップが注目される時代だ。プランツラボラトリーには三菱UFJキャピタルが出資しており、資金に困ることは今のところない。「ビニールハウスを植物工場に作りかえる」という斬新なアイデアの将来性を評価したのだろう。

 まだ植物工場の販売を成約していない時点での紹介は気が早いようにも思えるが、プランツラボラトリーの次の挑戦にも触れておこう。大型の台風や豪雪に襲われても倒れない新しいタイプのハウスの開発だ。

 既存の植物工場のように基礎を固めた頑丈な建物ではないが、強風で吹き飛ばされてしまうようでは、普及は難しい。この「普及」の意味は結構大きいのだが、そのことは後述しよう。すでに強度のテストは始まっており、実用化の手応えはつかめているという。

「世界中どこでも安く」

 ここまで見渡すことで、プランツラボラトリーの戦略の全体像が見えてくる。キーワードは「環境」。低コストの新型の植物工場を売ることだけが最終目標ではない。巨大な台風に直撃されても、豪雪に見舞われても、天候不順が続いて外では野菜が育たないようなときも、安定して農産物を生産できるシステムを提供する。もっと言えば、そもそも野菜を作ることができないような条件の土地もある。そのことを、湯川代表はこう表現する。

 「世界中どこでも安く作れる植物工場を開発する」

 これが「普及」の意味だ。

 アカデミズムの世界を含め、農業関係者の中には植物工場はうまくいかないと思っている人が少なくない。1年ほど前に本格的に取材を始めたとき、筆者もそう思っていた。だが、植物工場の「内側」に入って取材を進めるうち、見方が変わってきた。プランツラボラトリーもその1つだ。

 事業が本格的に動き始めるのはこれからであり、今はほとんどが可能性の段階にとどまっている。だが、ガラスケースの中に並んだ工場野菜を見ながらプランツラボラトリーの構想に思いをはせると、可能性が現実のものとなる日がいずれやって来ると思えてくる。

<span class="fontBold">植物工場の常識を変える湯川敦之代表とメンバーの1人、立川尚明氏(東京都港区)</span>
植物工場の常識を変える湯川敦之代表とメンバーの1人、立川尚明氏(東京都港区)
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