「若返りの薬」として知られるニコチンアミド・モノヌクレオチド(NMN)──。マウス実験で糖尿病に劇的な治療効果を上げたとして、米ワシントン大(ミズーリ州)の今井眞一郎教授が報告し、一般に知られるようになった物質だ。

 その後、多くの研究者がNMNの研究を推進、今井教授自身もマウスへの長期投与実験を手がけるなど抗老化の分野で高い注目を集めている。そして今回、今井教授が進めていた長期投与実験の結果が明らかになった。その中身について、今井教授に語ってもらった。

(聞き手は、日経ビジネス ニューヨーク支局、篠原 匡)

マウス実験で「NMN」の抗老化作用が明らかに

米国の学術誌「セル・メタボリズム(Cell Metabolism)」に、今井教授が率いるグループの新たな論文が掲載されました。抗老化や若返りの実現に道を開く物質、NMN(ニコチンアミド・モノヌクレオチド)に関わるものだと聞いています。まず、今回の論文の中身についてご説明ください。

<b>今井眞一郎(いまい・しんいちろう)氏</b><br/><b>ワシントン大学医学部(ミズーリ州セントルイス)発生生物学部門・医学部門(兼任)教授</b><br/>慶応大学医学部卒業。専門はほ乳類における老化・寿命の制御メカニズム。医学博士。<br/>(写真:ワシントン大学提供)
今井眞一郎(いまい・しんいちろう)氏
ワシントン大学医学部(ミズーリ州セントルイス)発生生物学部門・医学部門(兼任)教授
慶応大学医学部卒業。専門はほ乳類における老化・寿命の制御メカニズム。医学博士。
(写真:ワシントン大学提供)

今井眞一郎教授(以下、今井):今回の論文の新規性及び結論は、「体のエネルギー代謝にとって必須の物質であるNAD(ニコチンアミド・アデニンジヌクレオチド)の合成中間体であるNMNをマウスに1年間投与したところ、顕著で広範な抗老化作用を示すことが明らかになった」という点にあります(合成中間体とは、目標とする化合物に合成していく途中で現れる化合物のこと)。

 NMNは抗老化や寿命の制御にかかわるサーチュインと呼ばれる因子を活性化させると考えられてきました。研究を進める中で、NMNが様々な疾患に対して効果があるということがわかっています。実際、私たちのグループは2011年にNMNが糖尿病に対して著しい効果があることを発見しました。その後もアルツハイマーや心不全など他の疾患にも効果があると報告されています。

 そういった研究の過程で、ヒトやマウスなどの体内で老化とともにNADを合成する能力が低下し、体の様々な機能が衰えるということが分かってきました。もちろん、機能低下の結果として老化に関連した疾患もいろいろと起きてしまう。だとすれば、NMNのようなNADの合成中間体を投与すれば、抗老化作用が出るに違いない、と考えたわけです。

それが今回、マウスで証明されたということですね。

今井:そうです。実験するといってもマウスの寿命は2年ほどありますので大がかりな実験になってしまいます。それで、誰も証明できなかったのですが、今回、1年間の投与実験を経て、仮説通りの抗老化作用を確認しました。

 今回の実験で重要なのは、NMNをどうやって投与するかということと、投与した後にちゃんと体の中に入るのかということです。投与量は1日あたり100mg/kgと、300mg/kgの2つの用量をテストしました。飲み水に溶かして与えるという経口投与です。それを1年間、続けました。

 この経口投与というのはとても重要なポイントでした。NADは日周変動するからです。マウスは夜行性なので夜活発に行動します。NADも夜間に数値が高くなります。そして、マウスは夜間によく水を飲むので、飲み水にNMNを溶かしておけばよく水を飲む夜間にNADが上がります。つまり本来NADが高い時間帯に、さらにNADを追加する形になる。1日のNADのリズムを乱さないというのがポイントです。

NMNを経口投与すると短時間でNADに変換される

純粋にNADが効いたかどうかを確認するためですね。

今井:マウスが水を飲んだ後、わずか2分半で血中にNMNが出てくることが分かりました。2分半でNMNの血中濃度が上昇し、5~10分で最高値に達して15分経つと血中から消えてしまう。

 同時に、肝臓の中のNAD合成量を見ると、NMNが血中から消えるのに呼応して肝臓内のNAD合成量が増える。これが何を意味しているかというと、経口投与するとNMNは素早く腸内で吸収され、15分ほどで組織に移行してNADに変換される、ということです。

 私たちは1年間、100mg/kg/日と300mg/kg/日の2つの用量を普通の健康なマウスに飲ませ続けました。マウスも人間と同様に老化すると体重が増えるのですが、特に、オスの場合は脂肪が増えます。ところが、NMNを溶かした水を飲んでいたグループは老化に伴う体重増加が少なかった。普通の水を飲んでいたマウスと比べると、100mg/kg/日で4%、300mg/kg/日で9%の体重減少が見られました。70kgの男性だと、100mg/日で3kg弱、300mg/日で6kg以上やせるという計算になります。

結構な体重減少ですが、マウスが体調を壊しただけでは?

今井:調べました。血液の生化学検査や尿検査、病理検査など様々なことをしましたが、副作用や毒性などは全く認められなかった。それどころか、逆に面白いことが分かりました。

 マウスも人間と同じで年を取ると食が細くなります。ところが、NMNを投与しているグループは体重あたりの食事の量が増えていた。要するに、NMNを飲ませているマウスはより食べているにもかかわらずやせている。副作用や毒性を示すデータも何もない。

NMNでマウスは若返っていた

代謝が増えているということですか。

今井:その通り。エネルギー代謝についても調べていて、NMNマウスは酸素消費量が増えていました。しかも、脂肪酸を燃やしているのか、血糖を燃やしているのかをさらに調べたところ、脂肪酸を燃やしてエネルギーを得ているらしいということが分かりました。

NMNをサプリにして売ればバカ売れしますね。

今井:もう少し聞いてください。マウスも年を取ると代謝が落ちますが、11カ月齢のマウスと17カ月齢マウスの酸素消費量を比較すると、NMNを投与した17カ月齢のマウスは11カ月齢のマウスと比べて酸素消費量があまり変わらない。つまり、NMNを投与しているグループは6カ月若い状態になっていました。

 さらに、夜間の活動量を調べると、100mg/kg/日の方が300mg/kg/日よりも増えていた。必ずしも、多く飲ませればいいわけではないということです。他にもインスリンの効き目――インスリン感受性といいますが――や遺伝子レベルの実験など様々なことを調べたところ、NMNによって体の代謝状態、特に骨格筋でエネルギーを産み出す能力が高まるということが分かりました。しかも、若いマウスに投与してもほとんど効果がない。

老化に伴う疾患も減るんですよね。

今井:今回の実験では目の機能も調べました。我々が使用しているマウスは年を取ると目の網膜に炎症が起きます。ところが、100mg/kg/日と300mg/kg/日を与えたマウスは炎症がなくなっていました。じゃあと思って調べたところ、網膜の視細胞の機能が向上していました。年を取ると涙が出にくくなりますが、涙の量もNMNを与えていないマウスよりも増えています。

 その他にも、骨密度が増えるということが分かりました。今回の実験では直接評価していませんが、免疫機能も回復するということが予想されています。このように、マウスによる実験では老化に伴う様々な機能低下がNMNの投与によって食い止められるということです。

NMNを投与しているマウスのグループは、6カ月若い状態になっていた (写真:ProPhotoSTL.com)
NMNを投与しているマウスのグループは、6カ月若い状態になっていた (写真:ProPhotoSTL.com)

野菜やフルーツに比較的多く含まれる

NMNはどういった食品に多く含まれているのでしょうか。

今井:おおざっぱに言うと、野菜やフルーツには比較的多いようです。タネのようなもの、言い換えれば芽のために栄養価をためているような部分に多く含まれているのではないかと考えています。例えば、私たちが調べたところでは枝豆やアボカドにかなり含まれています。 逆に、牛肉やシーフードにはあまり含まれていません。

 実際のところ、かなりの量を食事で摂取していると思われますが、年を取ってNMNの合成量が落ちてしまうと、食事だけでカバーしきれなくなるんだと思います。そのため、NMNを補填するということが極めて重要になる。NMNを体内に取り入れれば素早くNADに変換され、多岐にわたる抗老化作用を示しますので。

ヒトへの臨床研究が楽しみですね。

今井:現在、慶應義塾大学医学部でNMNの第1相臨床試験が実施されています。第1相は安全性と血中への移行、つまり体内血中動態を見る研究ですので、恐らく今年中に終わるのではないかと思います。その後、安全性を確認して、本当に効くのか、効果のテストに入ると思いますが、それも来年いっぱいかかるという程度で、そんなに先の話ではありません。

その後に大規模な臨床試験に移行するわけですね。

今井:いえ、今回は薬としての開発ではありませんので、効果が確認できた時点で販売可能な状況になると思います。サプリという言葉は科学的な裏付けがないものが多すぎるので使いたくありませんが、去年の6月から施行されている機能性表示食品のような形で市場に出ると思います。

日本の社会問題を解決するために

今回の研究ではオリエンタル酵母がNMNを製造したと聞きます。

今井:そうです。今回の研究はオリエンタル酵母さんとの共同研究です。そもそもことの始まりは2008年にさかのぼります。オリエンタル酵母さんの若い研究員の方が2007年に我々が出したNMNに関する論文を読まれて、「うちの技術であればNMNをつくれますよ」とメールをくださったんです。ちょうど私たちもNMNを供給してくれるところを探していたので、それで共同研究が始まりました。

 私が強調したいのは、いまのような高品質なNMNは日本の技術でできたものなんだということです。私は米国の大学にいますが、日本企業と日本人研究者の共同研究で、8年もかけて開発された物質なんです。日本は超高齢化と少子化に苦しんでいますが、日本の社会問題を解決するために、ぜひNMNを広く使って欲しいと思います。

確かに、NMNは日本人の手によって生み出されたものです。ただ、一方で今井教授はセントルイスのワシントン大学を拠点に研究されています。なぜ今井教授のような研究者は米国に移ってしまうのでしょうか。

今井:現在、研究費を得るのは厳しい状況にありますが、そうは言っても米国は他国と比較して研究開発費が潤沢にありますし、自由に研究ができます。そういった環境に惹かれて、世界中から頭脳が集まっているのだと思います。こういった多様なバックグラウンドを持った優秀な人材が十分な環境の下で研究に没入する。それが米国における最先端の科学力を支えるのに貢献しているのは間違いありません。

共和党のドナルド・トランプ候補は移民に対して強硬な発言をしています。

今井:すぐに強制退去させるかどうかはともかく、イリーガルな移民を制限するということは当然かもしれません。ただその際にあまり制限をかけてしまうと、米国の底力になっている科学力が阻害されることになると思います。才能を持った人々がこの国に自由に来て力を伸ばしていくというプロセスが科学力を支えているので。

 加えて、米国に来る研究者を国籍にかかわらずサポートする懐の深さと、それを支えるきちんとした評価システムがあります。

評価システムというのはどういうことでしょうか。

今井:研究費の配分を公正に行うシステムが整っているということです。これがなかなか日本では…。

難しい。

今井:そうですね。米国の場合、国の研究費、特に医学研究費の場合はNIH(National Institute of Health:米国立衛生研究所)から出ていますが、その他にプライベートな財団から来る研究費もかなりあります。また、企業化、事業化を考えているような投資家が投資する資金もかなりある。そういった国、財団、投資家という三位一体の資金がこの国の科学力、技術力を支えています。日本でも最近、老化・寿命研究に国として研究資金を投じようという機運が高まっています。日本が長寿大国として、ぜひ世界をリードしていけるようになればと願っています。

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