あけましておめでとうございます。

 昨日と今日とを隔てるものは、地球が1回自転したというただそれだけのことに過ぎません。その1区切りを8万6400分割したものを「秒」として、気候が移ろい、岩が砕け、草木が萌えて枯れていき、生き物たちが老いて死んでいくこの無数のこころが捉える変遷を、私たちは「時間」と呼んでいます。

 時間は、あらゆる生命に等しく流れています。私にとっても、例えば地を這うカタツムリにとっても、「1日」は、地球の自転1回分に違いありません。

 しかし同時に、すべての生命にとって時間の速度は異なる、とも言えます。カタツムリの寿命は一般に3年程度と言われているそうですので、カタツムリの1日は、彼らの一生の1000分の1程度の時間ということになります。人間の寿命を80年とするなら、私たちは2万9200日を生きることができる計算になります。その1000分の1となると、カタツムリの1日は、人間にとってのおよそ30日、つまり一ヶ月程度の重みを持っていると言えそうです。

 私が無為に過ごした1日がカタツムリにとって一ヶ月にも相当すると聞くと、どうも情けないような申し訳ないような気分になりますが、それはさておき。分かりやすい例としてカタツムリと人間とで比較しましたが、同じ人間同士でも、時間の速度やその重みは異なるように思います。例えばアジアから欧州に向かうのに数ヵ月を要した時代と、パソコンに向かってキーボードを叩けばロンドンの友人と会話することができ、その気になれば数時間で飛んで行くこともできる時代とでは、人間がその一生でなし得る仕事の量や質は大きく変わっていると思われます。

 例えば「1秒当たり生産価値」「時間ROA」のようなものを試算することが可能であれば、人類史の中で、その指標が上がり続けていることが確認できるはずです。

 今日は2016年1月1日。2015年の元旦から8万6400秒が365回過ぎました。地球は太陽の周囲を一周し、また3153万6000秒前と(太陽との相対的な位置としては)ほぼ同じ場所に戻ってきました。「年が明ける」ということには、自然科学の立場から言えばそれ以上の意味はありません。

 しかし、先人たちは、時間の流れなどという捉えがたいものを把握し、また共有するために、天体の運動を元にそれを刻んで「時刻」というものを生み出しました。その発明によって、私たちは、生命として与えられている時間が限られており、だからこそその一生がかけがえのないものであることを知ることができました。等しく流れる与えられた時間の中で、より幸せにありたいと願う人々の営為、家族や友人や自分の夢のために「時間ROA」を少しでも高めたいと努力する人々の営為が、「経済」というものを形作り、また成長させて来ました。

 今日という日は、地球の公転周期を365分割して日付を振った結果、たまたまこの日が始まりと終わりを隔てたに過ぎない日ですが、同時に、人間社会の根底を支える時間認識で捉えれば「節目」となる日でもあります。天体の運動から見ればばかばかしいくらい健気な「願い」を抱えながら、向こう1年の幸多からんことを祈る日でもあります。

 こんな日だからこそ、次ページから、鬼が笑うとの謗りを恐れずに、2016年以降の経済、社会を、「時間軸」という問題意識を根底に据えつつ、「インダストリー4.0」「フィンテック」「IoT」「オープン・イノベーション」「スタートアップ」「TPP」など2015年のバズワード、キーワードを拾いながら考えてみたいと思います。

 読者の皆様の、この一年のご多幸を心よりお祈りします。

 先述のように、人類史上、1秒当たりに生産される財の量は増え続けています。言い換えれば、あるモノやサービスを生産するための時間は短縮し続けています。さらにこれを言い換えれば、経済現象の時間軸は「加速」し続けている、とも言えます。

 これは、単純に、生産技術が向上しているという話ではありません。

LCCはなぜ強いのか

 例えば、なぜ格安航空会社(LCC=ローコスト・キャリア)が伸びているのか。販路をウェブに絞る、機内の食事や飲み物を有料にする、手荷物を預かるのも有料にするなどの徹底したローコストオペレーションでコストを削減し、販売価格を抑えて、空の旅をコモディティ化したからだ、と説明されます。もちろんその説明は誤りではありませんが、十分とは言えないと思います。コスト削減だけで彼らは成功しているのではありません。

 もともと、航空会社のほとんどは国営でした。民間で担うには、航空産業が「重すぎた」からです。航空機がそもそも高価であるのに加えて、これを安全に飛ばし続けるためには常にコストをかけて整備をし続けなければなりません。ある国から、どの国のどの都市に就航させるのか、という選択は、航空会社の経営を超えて、外交や国家戦略と直結するものでした。航空産業は、民営化こそ進みましたが、依然としてこの「重さ」を宿命的に抱えて込んで来ました。

 これを逆手に取ったのがLCCでした。彼らの多くは、機材を所有しません。リースで調達します。整備部門も持ちません。整備の専門業者に任せます。場合によってはレガシーキャリア(従来の航空会社、フルサービスエアライン)の整備部門に発注することもあります。必ずしも自国のハブにこだわらず、第三国同士を結ぶ路線の開拓にも積極的です。

 LCCの経営は、PL(損益計算書)の観点から「コスト削減で安売りする経営」と見ては本質を見誤ります。BS(貸借対照表・バランスシート)の観点から「持たざる経営」に徹していることこそが、その経営の本質です。つまり彼らは徹底して「軽い」のです。機材や整備をアウトソーシングすることで、LCCはマーケティングやサービスに専念することができます。路線開発やプライシング(値付け)で、トライ&エラーの頻度を上げることもできます。だからチャレンジの時間軸が圧倒的に速く、結果として強いのです。

 かつて航空会社を一から立ち上げようとすれば、機材を購入し、整備部門を立ち上げて人材を育てるところから始めなければなりませんでした。しかし今日、機材をリースで提供してくれる会社があり、整備のアウトソーシングを請け負う会社があることで、立ち上げに要する「時間」はぐっと短縮されました。産業が高度に分業化され、それぞれを最適なプレーヤーが最適な資源(場所、モノ、カネ)で担うようになることで、起業のスピードが劇的に加速した一例です。

 こうした事例は航空産業に限るものではありません。

 ある新製品のアイデアを持っていて、これを製造、販売したいと思った人がいたとします。以前であれば、まず銀行など金融機関に融資を頼むなどして資金調達する必要がありました。次いで、アイデアを図面にしてくれる設計者を雇い、要件を定義しなければなりません。さらに、材料を調達した上で、試作して出来を確認し、生産ラインを組み上げるか、もしくは下請け工場を探して生産を始める必要があります。小売店などを回って販路を開拓し、製品を届けて売り上げの回収に汗をかく必要もありました。

ネットが時間を加速させた

 しかし今日。例えば資金調達はクラウド・ファンディングで募ることができるかもしれません。図面を引く仕事も、クラウド・ソーシングに委ねることができるかもしれません。CADデータをネットで送れば、3Dプリンターで試作してもらってデザインを確認できるかもしれません。試作品に問題がなければ、EMS(電子機器の受託生産サービス)に発注すれば、調達から物流まで面倒を見てもらえるでしょう。生産工程が不安なら、「IoT(Internet of Things、モノのインターネット)」化されたEMSであれば遠隔地からリアルタイムで監視することも可能かもしれません。ネットで販売すれば、小売店の開拓は不要かもしれません。多様な決済手段を「フィンテック(金融とITの融合)」が用意してくれるかもしれません。

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 「インダストリー4.0」「クラウド・ファンディング」「クラウド・ソーシング」「フィンテック」など、2015年には様々なバズワードが生まれました。これらのいずれもが、人間が何かを生み出そうという時に助けになってくれるツール、ソリューションであり、「発想」から「実行」までの時間の流れを加速させる側面を持っています。

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 これまでインターネットは、通信機器の中に存在するに過ぎませんでした。しかし2016年以降、「IoT」化が加速して私たちの生活を囲むあらゆるモノにネットが介在するようになります。結果として、上記のようなネットから生まれたソリューション群は、その力が及ぶ範囲をますます拡大させることになるでしょう。しかもITの進展は、そのコストを劇的に下げ続けています。

 その先に、どんな未来が待っているのでしょうか。

 そこに広がるのは、優れたアイデアが、「時間」を要することなく、一瞬でビジネスに姿を変える世界です。裏を返せば、事業環境の整備に「時間」を要するという参入障壁では、どのプレーヤーも身を守れない世界です。

 家内制手工業、問屋制家内工業、工場制手工業(マニファクチュア)、そして工場制機械工業へと、何段階かの飛躍を経て人類史における「時間ROA」は高まり続けて来ました。

 これから起こる変化は、これまでにないような大きな飛躍になる可能性があります。テクノロジーによって「時間」が極限まで短縮され、「場所」の制約さえ乗り越えられていく。それまで「川」の流れのように徐々に加速していた時間が、まるで「滝」が落ちるように飛躍的に加速し、起業の時間軸が、二次関数的に短縮して限りなくゼロに近づいていく。ここでは仮に、その状態を“ウォーター・フロー(滝)の経済”と呼んでみたいと思います。

「ウォーター・フローの経済」がもたらす自由競争

 滝の垂直落下がもたらす自由落下が無重力状態を生むように、ウォーター・フローの経済は、限りなく「自由競争」に近い競争状態を生むことになるでしょう(自由競争とは、干渉や規制、障壁がない状態でなされる競争状態を指します)。

 ビジネスが一瞬で姿を変え、国境を容易に超えていく中で、「デファクト・スタンダード(事実上の標準)を握る」とか「系列化、垂直統合で戦う」だとか、これまで勝利の方程式として語られていた戦略や戦術が陳腐化していく可能性もあります。標準というものが常に揺らぎ続け、業界や業種というものも溶けていく時代、予想もしなかった異業種との協業が新たな価値を生むこともあれば、昨日のライバルと協業して新たな競合に当たることもあるはずです。2015年によく聞いたキーワードでもある「オープン・イノベーション」という発想は、このあたりから来ているような気もします。

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 自由競争をもたらすのはネットだけではありません。例えば2015年には環太平洋経済連携協定(TPP)交渉が大筋で合意に至りました。TPPは自由貿易協定の一種です。自由貿易とは、要するに、私がコンビニでコーラを買うように、米国のモノを気軽に変えるような取引の状態――関税や非関税障壁を極小化し、国境を越えてモノやサービスの売り買いを自由にできるような取引の状態を指します。自由貿易の実現は、自由競争の前提の1つです。

 つまり、今、経済活動が、国境や業界・業種の垣根、規制などの「ボーダー」を容易に越えていく、それらの垣根が溶けていく時代を迎えつつあるように思います。

 まずもって、自由競争がもたらす現実はおそらく残酷です。より弱肉強食の、強い者がますます富む世界がやって来ることになるでしょう。

 2015年には巨額のM&A(合併・買収)が相次ぎました。ビール世界最大手のアンハイザー・ブッシュ・インベブが、同業界2位の英SABミラーを710億ポンド(約13兆円)で買収。米IT大手デルは同EMCグループを670億ドル(約8兆円)で買収。米ホテル大手のマリオット・インターナショナルは同業のスターウッド・ホテルズ・アンド・リゾーツ・ワールドワイドを122億ドル(約1兆5000億円)で買収。米製薬大手のファイザーはアイルランドの同業大手アラガンを1600億ドル(約19兆7000億円)で事実上、買収すると発表しました。

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 これらの動きは、租税回避などの個別の事情はあるにせよ、大きく捉えるならば、グローバル企業が、よりプリミティブな競争の時代を迎える準備をすでに始めていることの現れと言えるかもしれません。理屈で言えば、自由競争の環境下では、より大きく強い者が勝つことになります。強者は、より強くあるために継続的に投資を続けることができ、その強みで大きな利益を上げて、さらに投資し続けることができるからです。

 しかし、自由競争の時代を迎えることは、守るべきものを抱えた既存のプレーヤーにとってはリスクでもあります。自分たちを守ってくれていた障壁が失われ、外敵の脅威に晒されることを意味するからです。そして、挑戦者にとってはチャンスです。優れたアイデアとそれを実行する力があれば、新興国の一青年でも革新的なビジネスを始めて世界を変えられるような時代を迎えつつあります。

 近年「スタートアップ」という言葉を「日経ビジネス」の記事中でもよく見るようになりました。しがらみなき自由競争の時代を拓く起業家が、もっと日本にも生まれて来てほしいと願わずにはいられません。

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滝の先には豊かな多様性の海がある

 “ウォーター・フォール”を落下した果てには“カンブリアの海”が広がっている、と信じたいと思っています。

 古生代カンブリア紀と呼ばれる地質時代の、5億4200万年前から5億3000万年前の間に、突如として爆発的に生物が多様に進化し、分化したと言われています。この「カンブリア爆発」で誕生した生き物たちの形状は、奇妙でグロテスクなものが多く「カンブリアモンスター」と呼ばれることもあります。

 しかし、この「爆発」によって、いま地球上で生きる動物の「門」が出揃ったとも言われています。つまり、爆発的に多様に進化した奇妙な形状の生き物たちの、あるものが生き残り、環境に適応して、私たち人間やカタツムリに進化しました。

 優れたアイデアと実行する力があれば、国境やしがらみを越えて誰もがビジネスを生み出せる時代。豊かで奇妙なカンブリア紀の海のように、多種多様なビジネスが爆発的に生まれてくる可能性があります。2015年によく耳にしたバズワードの多くは、ビジネスを生むためのソリューションに過ぎませんでした。ではそのソリューションを使って何ができるのか。わずかにUberやAirbnbなどが拓く「シェアリング・エコノミー」という例外を除けば、アプリケーションの話を聞くことはほとんどできなかったように思います。2016年以降、用意された多彩なソリューションを使って、誰も予想できなかったようなアプリケーションが次々に具現化されて来るかもしれません。

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 カンブリアの海に生まれたモンスターたちのように、新しい発想やビジネスの大半はいずれ滅びるでしょう。また、旧時代の既存の生物に捕食されてしまうかもしれません。しかし、先進国と新興国との間にあった「時間差」がテクノロジーによってほぼなくなり――タイムマシン経営などというものを実現することが極めて困難な時代になっていることは間違いないはずです――誰もが同じ土俵で戦える可能性を持つ時代、不恰好に見える新たなビジネスの中に、次代に生き残り覇権を唱える強い種が含まれているかもしれません。

 2016年。弱肉強食の原則が覆う多様性の海に、その厳しさを恐れずに果敢に挑むプレーヤーたちが、日本から、そして新興国から、続々と、爆発的に生まれてくるような1年であってほしいと願っています。そして、日経ビジネスオンラインは、そうした挑戦者を応援する媒体でありたいと思っています。

 本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 2016年元旦
日経ビジネスオンライン編集長
池田 信太朗

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