指導霊の一人のトマス神父が、イエス様の愛の教えと
仏教のいう、業の法則について語りました。
ちょっと難しいです。
≪キリストの救いは業を超えるものです≫
キリスト教は「自覚」の宗教であって、一方的な「救い」の宗教ではありません。
神に依存して、盲信すれば、救われるのではありません。キリストは、
輪廻の法則や業の法則を無視して「信ずるものは救われる」と言ったのではない。
しかし、自らの悪因縁を刈り取らなければ救われないとしたら、
それがある限り人生にはなんらの救いが無いことになり、
仏教のように、業の法則を中心にして説くと、人間はいつまでたっても
罪の意識から抜けられないことになります。
けれど、人間は誰でも悔い改めることによって、自らの将来を救うことが出来るし、
自分は、キリストの光に導かれる、神の子であると自覚することによって、
暗黒の世界から光明の世界へ達することができるのです。
ですから、「悔い改めよ」というのは、
他の宗教からキリスト教に改宗しなさいといったのではないし、
ただ信じるだけで罪がなくなるといったのではありません。
「悔い改める」とは「悟り」であって「自覚」なのであり、現世的な「救い」ではない。
キリストの言う救いは、物理的な奇跡が起こる事では無く、魂が救われることです。
キリストはこの世界の業の法則を、因果応報という因縁説によらず、
諸法実相(人間のありのままの姿)の光明思想(人間の霊性)の立場から
これを説いたのです。
トマス神父は、スコラ哲学の創始者で、神学の基礎を築いた偉人ですが、
何故か私の指導霊になっています。普遍の道を探求して居るそうです。
生前も、現在も、イエス様の弟子。
今の姿は、この画像より痩せています。
大柄で、ピザたくさん食べそうな感じ、
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