写真:アフロ
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 「同一労働同一賃金」に安倍晋三首相がご執心だ。アベノミクスの第2ステージとして打ち出した「一億総活躍社会」の具体的な施策の柱のひとつにしたいという思惑がにじむ。2月23日に開いた「一億総活躍国民会議」で、安倍首相自ら、専門家による検討会の立ち上げを指示。具体案作りが始まることになった。

 「できない理由はいくらでも上げられます。大切なことは、どうやったら実現できるかであり、ここに意識を集中いただきたい」

 会議の締めくくりで首相は、同一労働同一賃金を何が何でも実現するという強い姿勢を見せた。

 同一労働同一賃金ーー。同じ仕事なら同じ賃金を支払うという概念だが、現状ではこの言葉を使う人やそれぞれの立場によって微妙に言葉の意味合いが異なる。何を「同一労働」と言うのか、どこまでを「同一賃金」と見なすのか、定義が今ひとつはっきりしないのだ。

 安倍首相が同一労働同一賃金にこだわるのは、「非正規雇用で働く方の待遇改善は待ったなしの重要課題」だという点。アベノミクスで目指してきた「経済の好循環」で、正社員の給与は上がり始めたものの、非正規の給与は上がっておらず、格差はむしろ開いているという批判に応えるのが狙いだとメディアは報じている。

同一労働同一賃金では解決しない問題

 では、同一労働同一賃金が義務付けられれば非正規雇用の待遇は本当に改善されるのだろうか。

 例えば、工場のラインでまったく同じ仕事をしているのに、正社員と非正規社員という身分の違いだけで、給与格差がある場合には、同じ賃金を支払わなければならない。そう考えれば、非正規の時給が正規の時給に合わせられることになり、非正規の待遇が改善されることになる。

 だが、そうしたケースはごく例外的だろう。日本の多くの職場の場合、正社員とパートでは拘束される時間が違ったり、責任の度合いが違うなど、一見同じ仕事をしているように見えて、実は違うということが一般的だ。学歴やこれまでの経験の度合いにも違いがある。

 もちろん、そうした責任や経験の違いで合理的に説明が付く以上の賃金格差が正社員と非正規社員の間である場合も多い。それをどう判断して「同一賃金」にしていくのかは、簡単に決められる話ではない。

 安倍首相は国民会議で、同一労働同一賃金に向けて、「正規と非正規のどのような賃金差が正当でないと認めるか早期に指針を制定していく」とした。だが、総論や一般論はできるとしても、具体的な「同一労働」や「同一賃金」の判定基準のようなものを作るのは至難の業になるだろう。

 同一労働同一賃金の義務付けには、国民の多くも賛成するに違いない。理念としては「当然の事」と受け止められるだろう。

 国民会議では、経団連の榊原定征会長は「賛同の立場だ」としながら、長期雇用を前提にした雇用慣行への配慮を求めた、という。実は、同一労働同一賃金を本気で突き詰めていくと、日本型の雇用慣行と言われてきたものを突き崩すことになる。

 どういうことか。

 旧来型の日本の雇用では、終身雇用を前提に年功賃金で年齢に応じて給与が上がっていくのが普通だった。つまり同じ仕事をしていても、社歴が長いというだけで若手社員よりも給料が高いのが実態があった。

 バブル崩壊以降、企業の業績が右肩上がりで成長しなくなったことや、新しいタイプの企業が急速に成長したことで、最近では年功序列賃金は大きく崩れている。それでも、年功賃金は日本的慣行として根強く残っている。

 同一労働同一賃金を突き詰めると、単に年齢による賃金格差は認められないということになる。そこに榊原会長はクギを刺したわけだ。安倍首相も挨拶の中で、「わが国の雇用慣行には十分留意しつつ、躊躇なく法改正の準備を進める」と、一定の配慮をしている。

むしろ正社員が非正規社員に寄せられる?

 一方の労働組合にとっても、同一労働同一賃金は“もろ刃の剣”になる可能性がある。年齢が高いだけで経験が豊富とも言えない場合、高齢の正社員の賃金が非正規の賃金に引っ張られて下落する可能性が出てくる。つまり、格差がなくなるにしても、正社員の待遇が下がることで、非正規と「同一」になっていくことが想像されるのである。

 もちろん、そんなことを組合が認めるわけにはいかない。正社員の現在の待遇は、過去の長年の闘争の積み重ねによって獲得したもので、それこそが組合の存在意義だからだ。

 労働組合が有力な支持母体である民主党の立場は微妙だ。もともと同一労働同一賃金を主張してきたが、組合員である正社員の待遇が悪化する事には、本音では反対だ。日本型雇用慣行の上に日本型の労働組合も成り立っている。

 日本の労働組合の多くは企業別組合だ。同じ業種で同じ職種の仕事をしていても、企業規模の大小によって賃金格差が生じるのが当たり前になっているのは、この組合の形態がひとつの要因だ。欧米のような産業別の労働組合が一般的な社会では、同一労働同一賃金の下で、企業が違っても同じ職種ならば同じ水準の給与が得られる。

 つまり、同一労働同一賃金を突き詰めていくには、組合の形が根本から変わる必要が出て来るのだ。

 安倍首相はその点を十二分に分かったうえで、同一労働同一賃金を打ち出した、とみられている。「口では同一労働同一賃金と言っているが、民主党は本音では反対なのだから」と安倍首相は周囲に語っている。7月の参議院議員選挙に向けての「民主党封じ」が同一労働同一賃金を持ち出した本当の狙いだ、という見方もある。

 アベノミクスへの批判を強める民主党などが繰り返し主張するのは、「アベノミクスの恩恵は大企業や都市部の金持ちなど一部にしか及んでおらず、格差はむしろ拡大している」というもの。非正規雇用の待遇改善は、こうした批判を封じるためにも待ったなしの政策だというのである。

大企業に眠る優秀な人材を解き放て

 もし、それが本当の狙いならば、参院選が終われば同一労働同一賃金は掛け声倒れとなり、実効性の乏しい精神論だけでお茶を濁すことになるだろう。むしろその方が、経営者側も労働側もこれまでの慣行を崩さなくて済む。

 だが一方で、安倍首相は日本経済が直面する構造変化を真剣に考えたうえで、同一労働同一賃金を打ち出しているのだ、という声も漏れてくる。つまり、日本型の雇用慣行を根本から見直さなければ、日本経済の再生はないと見切っているというのである。少子高齢化が急速に進む中で、労働力不足は今後ますます深刻さを増してくる。

 終身雇用の名の下に、旧来型の大企業が優秀な人材を囲い込んでいる現在の体制を打破しなければ、日本企業の生産性を抜本的に向上させることは難しいという考えが、背景にあるというのだ。

 もしそうだとすれば、同一労働同一賃金は日本の経済社会を大きく変えるメガトン級の威力を持つことになる可能性もある。戦後長い間、日本人の働き方を決めてきた労使双方、つまり労働組合と経営者団体の双方のあり方を根本から揺さぶることになる。

 安倍首相がどこまで本気なのかは、参院選が終わった後に見えてくることになるだろう。

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