ポケモンを発売元、任天堂を販売元として9月16日に発売された「ポケモンGO Plus」。あまりの人気に発売早々売り切れた。両社は「現在、追加生産を行っており、次回出荷は11月上旬を予定しております」としている。

 この商品が何かと一言で表現すれば、「スマホでポケモンGOを表示したままにしなくてもポケモンGOで遊べる専用デバイス」ということになる。

 ポケモンGOは、スマホの画面で同ゲームをアクティブに表示し続けることを前提に設計されている。例えば、同ゲーム起動中に限って、移動した距離に応じて「卵」が孵るなどのインセンティブを得ることができる。また、各種アイテムを獲得できるポケストップに到達したり、ポケモンに遭遇したりしたことを知ることもできる。ポケモンGOで遊んでいて、途中でメールを受信して読んだり返信したりしたとすると、その間に移動した距離はカウントされず、ポケストップやポケモンの存在も通知されない。おのずとユーザーは同ゲームを起動したまま移動することを余儀なくされていた。

 ポケモンGO Plusを使えば、ポケモンGOの画面を表示させずにポケモンを捕獲できるようになる。アイテムも回収できるようになる。例えば、右手でスマホを操作してメールを送受信しながら、左手でポケモンGOで遊ぶようなことも可能になる。画面をまったく見る必要すらなく、ポケモンGOの最低限の操作が可能になる。

 この端末の、ユーザーにとっての操作性や利点を解説することが本稿の目的ではない。書きたいのは、この端末が、これまでスマホというプラットフォームを舞台に繰り広げられていた競争に新たな地平をもたらす可能性がある、ということだ。売価わずか3500円の単純な作りの端末だが、記者には、「子供だましのおもちゃ端末」とは到底侮れない“野望”が秘められているように思えている。

「視覚」ではなく「触覚」デバイス

 ポケモンGO Plusの作りは極めて単純だ。この端末には、頭脳に相当するCPUも、ディスプレイも、カメラも、全地球測位システム(GPS)受信機も内蔵されていない。あるのは、スマホ本体と通信するためのBluetooth機能。多色発光するLED(発光ダイオード)。そしてたった1つのゴム製とおぼしき物理ボタンのみ。ゲームサーバーとの通信や計算処理などはスマホ本体に任せて、この端末自体は、ユーザーとゲームを繋ぐ役割のみを果たすように設計されている。おそらく、3500円でもそれなりの利益が出るだろう。

 この単純なプラスチック製の端末がなし得ることとは何か。

 それは「可処分時間の倍化」に他ならない。

 いまスマホというプラットフォームを舞台に、ニュースアプリやゲームアプリや交流サイト(SNS)などの運営会社が繰り広げているのは「可処分時間の奪い合い」だ。ある人が仕事や睡眠などを除いて自分のために使える時間は限られており、各社とも、その時間をいかに自社サービスで占有するかにしのぎを削っている。

 スマホは端末の特性上、マルチタスク性に乏しく、画面サイズも限られており、パソコンのように複数のサービスを同時に使うことは困難だ。また、当然ながらユーザーがスマホで費やせる可処分時間というものも限られている。それゆえに、スマホユーザーの可処分時間を占有できる「覇者」は限られる。

 ところがポケモンGO Plusは、上記のように「メールを送受信しながらポケモンを捕獲する」といった行動を可能にした。あるユーザーがメールに送受信する折に「スマホに費やす可処分時間」を、そこに上乗せするかたちでポケモンGO Plusが占有できるようになったというわけだ。言い方を換えれば、可処分時間は2倍に増加させた、ということになるだろう。

 このデバイスが視覚を占有しない点も特筆すべき点として挙げたい。

 スマートウォッチのようにディスプレイを搭載せず、インタフェースと言えるものは、わずかにLEDの発光色とバイブの振動数のほかない。ユーザーが、アイテムが獲得できる「ポケストップ」にたどり着いたり、野生のポケモンに遭遇したりすると、それぞれ異なる色でLEDが発光して、一定の振動数で知らせてくれる。

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 ただし、どんなアイテムが得られたか、どのポケモンが現れたのかといった情報は、スマホの画面を確認するまで全く分からない。すでにこのデバイスを入手した多くのユーザーも、結局のところ、スマホ画面もポケモンGO PlusのLEDも見ずに、「ポケットの中で振動したら物理ボタンを押す」「たまにスマホ画面を見て、獲得できたアイテムやポケモンを確認する」といった操作方法に落ち着いているようだ。

 ポケモンGO Plusというデバイスの本質は、つまり、これまでの多くのデバイスがそうであったような「視覚」に働きかけるものではなく、いわば「触覚デバイス」であるという点にあるだろう。

 ポケモンGO Plusがインタフェースや機能を削ぎ落としたのは、3500円という、デジタルデバイスとしては安価な価格に売価を抑えるためだけでなく、振動を感じてボタンを押すだけで操作できるというシンプルな“触覚デバイス”であろうとしたことの表れであるようにも思える。

 人間は2つのものを同時に見ることはできない。だが、指で何かに触れながら別のものを見ることはできる。ポケモンGO Plusは、「視覚」を捨てて「触覚」に特化したことで「可処分時間を倍化する」ことに成功したと言っていい。

ポケモンパワーでまたキャズムを超えるか

 ポケモンGOがキャズムを悠々と超えて、1つのゲームのために専用デバイスを買いたいと思わせるほどのインパクトをユーザーにもたらしたからこそ、こうしたデバイスが量産でき、新たな“時間消費”のかたちを生み出し得た。前回の記事でも書いたが、それは任天堂が育ててきたポケモンというIP(知的財産)の強さと普遍性があってこそなし得たものだ。

 11月以降、増産されたポケモンGO Plusがユーザーに行き届けば、スマホの機能を補助して可処分時間を拡張するデバイスもまたキャズムを超えていくかもしれない。その先にあるのは、リニアな可処分時間の奪い合いではなく、ゴーグル、リストバンド、無線式イヤホンなどの各種デバイスを駆使した、人間の五感で多層化されていく可処分時間の奪い合いだろう。

 かつてウォークマンは「歩きながら音楽が聴ける」という体験を提示し、「聴覚」に訴えるデバイスでユーザーの可処分時間を倍化したことで新たな市場を開いた。A、Bボタンと十字キーという単純なインタフェースで豊潤なマリオの世界を生み出した任天堂が、いま世に送り出すボタン1つのプラスチック製のデバイス。AR(拡張現実)に続き、ポケモンGOは、ポケモンGO Plusを世に出すことによってスマホ市場の競争にまた新しい地平を切り開く可能性を秘めているかもしれない。

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