晩年の黒澤明の言葉

大林宣彦氏:ハリウッドならば、アカデミー賞ならば、ここでIt’s show timeというところで、私がタップダンスをひとつご披露できればいいんですけれども、齢80にならんとする、じじいでございます。

このじじいがなぜここに出てきましたかといいますと、私ごとながら、去年の8月に私の映画人生76年の集大成として、映画を作ろうとしたその前日に、肺がん第4ステージ余命3ヶ月という宣告を受けまして、本当はいまここにいないのですが、まだ生きております。

そんなわけで生きてるならみなさんに、映画ならではのエンターテインメントを1つお伝えしたいと思いまして、私がひそかに大事にしておりました、黒澤明、世界を代表する黒澤明監督、私のちょうど親子ほどの年齢ですが、晩年大変かわいがっていただきましてね、私を含め、未来の映画人に遺言を残されております。その遺言を私はただ1人胸に温めていましたので、今日それをみなさんにお伝えしようとして、命がけでここに今立っております。

さて、黒澤明さんもね、実はアマチュアの大先輩なんですよ。黒澤さんも東宝という日本の映画界の会社の社員でございましたから、自由に映画を撮ることはできなかった。会社という制度の中で、その商品としての映画を作るために黒澤さんは自分の自由と、自由な表現と闘いながらすぐれた映画を残していらっしゃった。

しかしそれは非常に不自由な映画製作でした。晩年黒澤さんが東宝を離れて黒澤プロダクションという自由の身になられました。その時のことを黒澤さんは私にこう言いました。

「大林くんなあ、僕も東宝という会社制度から離れてようやくアマチュアになれたよ。アマチュアというのはいいねえ。どんな制度にも、俺たちは国家の戦争という制度にもしばられて、なんにも表現の自由がなかったけれども、今や僕はアマチュアとして自由に僕が表現したいことをやるんだ」と。

そして黒澤さんは核の問題、原爆の問題、戦争の問題、さらにはご自身が少年時代にあった戦争の暮らし、そういうものに正直に胸を開いてきちんと映画化されながら、亡くなっていかれました。その大先輩の遺言を最後にお伝えするためにこれから少し時間を頂戴してお話させていただきます。

戦争を忘れてしまっているという悲劇

はい、私、「じじい」と言いましたけど、その意味はここでは戦争を知っている、体験した世代ということでございます。

私のね、2つ3つ兄貴の世代が、しっかりそこを頑張って、いろいろ伝えて表現してくれていたんですけれども、やはり物事は順序でこの2~3年でみんなあの世に逝ってしまいました。思えば私がその世代を知っている最後の弟分になりました。なのでそのことをみなさんにお伝えしたいと思います。

さて、みなさんね、戦争というとどうなんでしょう。今は平和でそんなものなくて、今とは全く違って戦争の時代っていうとなんか時代劇を見ているようなはるか昔の自分とは関係ないような時代だとお思いでしょうけど、戦争というものはね、ここにあったんですよ。ここにあったんです。この日常のなかにあったんです。

どういうかたちであったか。そう、私はまだ子どもでしたけどね、例えば日本が真珠湾奇襲攻撃をした時、私たち少年は「日本勝った! 敵負けた! ルーズベルトとチャーチルをやっつけた! 日本の正義はたいしたもんだ!」といってね、提灯担いでみんなで浮かれたもんですよ。

しかしたった4年間で情勢はどんどん変わりましてね。我が家は古い港町の医者の家でね。医者の家っていうと、当時の、まあ町の権威の象徴でありまして、長とつく人がみんな集まりましてふんどし1本になりまして、天下国家を論じる場所でした。

そういう未開の広場に集まる大人たちに向かって私たち子どもは、階段を忍びあがって、大人たちの様子をそれはしっかりと伺っていたものですけどね、私のような子どもが入っていくと大声で話していた大人たちが急に、悪いこと言って聞かれるんじゃないかって感じで黙り込んじゃうんですよ。

そこに制服姿の若い兵隊さんがいましてね。憲兵さんでしたけれど。憲兵さんといえども、医者の長であるうちの爺さんにはかないませんから、おとなしくお話を拝聴させていただきますといってかしこまっていましたけど、その横に彼と同年配の私の叔父がいまして、これは肺病を病んでいて戦争にいくことができない、兵隊になることができない、国家のために命をささげることができないから、非国民、国民にあらざる者、人間にあらざる者というように蔑まれていたんですがね。

その叔父が、「もう日本は負けるよ、負けたほうがいいよ」なんてつぶやいていました。翌日いなくなりまして、3日後に青あざだらけでその憲兵さんに背負われて帰ってきました。その時の憲兵さんも全く違った顔してましたね。人間の顔ってこんなに権力によって違うものかっていう顔をしてました。

そしてそれから日本は敗戦に向かうわけですが、私は原爆が落ちた広島の近くの生まれですし、私の妻は同年配で東京大空襲で3月10日に死ぬ思いをしたのですが、なんと妻の父親は逃げも隠れもせず2階の窓を大きく開いて娘に、「見なさい。花火のように綺麗だろう。しかしこの花火の一つひとつの下で、今、人が首をもがれ手足をもがれ、命を奪われていってるんだぞ、よく見ておけ! 人間というものはこんなに愚かしい生き物だぞ。よく見て覚えておけ!」と言ったそうです。

そうしているうちに、ご近所はみな焼けて、うちの妻は死にもの狂いで逃げ延び助かったようです。義父はそのまま田舎に引きこもりました。愛する息子を海軍の予備隊で亡くしておりまして、人生の夢すべてを失いました。

戦争とは、人が人であること、人の人生、命、全てを失ってしまう。こんな理不尽な無益な恐ろしいものは決してあっちゃいけないということがたった70年前までみなさんここにあったんですよ、何の不思議もなく。しかしそのことを私たちが今忘れてしまっている。この忘れてしまっていることがね、今の時代の大変な悲劇になっていると思います。

「まさに映画とは、大嘘つきです」

例えば、戦争も理屈があります。これも外交手段の1つですからね。おまけに戦争をすれば、経済も高まるというふうな説もあります。いろんな理屈があって、戦争が再び起きるということは十分にあるわけです。

しかし、より強い国の核の下に入ったら守ってくれるというけれど、実際に守ってくれたことがありますか? 今後も決してありません。自国は自国のためにだけ戦争をします。あるいは抑止力なんてありますか? 抑止力なんかあった試しがございません。そういう戦争の理不尽をよく知っていた私たちがいなくなってしまったこと。この断絶が怖いです。

私たちは支配者を選びますが、当然選挙によって選びますから、支配者は私たちの代表です。代表である支配者が良き支配を行ってくだされば安心なんですが、その支配者であられる人たちが戦争の実態をもう誰も知らない。第一次・第二次大戦のあの悲劇の虚しさ恐ろしさを、理不尽さを生身で知って、「何が何でも戦争なんて嫌だ! 嫌だ! 金が儲かろうと、嫌だ!」そう言い切れる人がどんどんいなくなって、支配者たちが行う政治が本当の人間としての責任を持ちえないものになってくるのではないかという怯えが私にはあります。

黒澤さん自身もね、そういうことの中で晩年、核の問題や戦の問題を描かれていましたけれども、その黒澤さんが遺言におっしゃったことはこういうことです。

「大林くん、人間というものは本当に愚かなものだ。いまだに戦争もやめられない。こんなに愚かなものはないけれども、人間はなぜか映画というものを作ったんだなあ。映画というものは不思議なもので、現実をきちんと映し出す科学文明が発明した記録装置なはずだったんだけれども、なぜか科学文明というものは年中故障する。故障ばっかりするのが科学文明だ。でも故障したおかげで、記録が正確じゃなくて、人物がすっ飛んだり、とんでもないところに飛んでいったり、おかしな映像がたくさん生まれたぞ。そしてそれを生かしていけば、事実ではない、リアリズムではないけれども、事実を超えた真実、人の心の真が描けるのが映画ではないか」。

そう、嘘から出た真。まさに映画とは、大嘘つきです。しかしその嘘をつくことで世の中の権力志向から、上から下目線というものが全部壊されて、でんぐり返って見えてくるものがある。

例えば、今私たちが正義を信じていますね。「私の正義が正しい。敵の正義は間違っている」。一体正義ってなんでしょう。私たち戦争中の子どもはそれをしっかりと味わいました。私たちも大日本帝国の正義のために戦って死のうと覚悟した人間でした。しかし負けてみると、鬼畜米英と言われた側の正義が正しくて、私たちの正義は間違っていた。なんだ正義とは、勝った国の正義が正しいのかと。それが戦争というものか。じゃあ自分の正義を守るためには年中戦争してなくてはいけないのかと。

そうだ、だから戦争をするんだよという人もいるでしょう。しかし日本は、負けたおかげで憲法9条という、奇跡のような宝物を手に入れました。もし世界中の国全部が憲法9条をもっていたら、世界から戦争はなくなっちゃうんですよ。こんな不条理ともいえる、夢ともいえる、世の中の現実とも合わないといえる、まさに事実には合わない憲法だけれども、真には合う。それを信じることが映画の力なんですね。

映画には世界を平和に導く美しさと力がある

そういう意味で黒澤さんはこうおっしゃいました。

「僕はもう80で死ぬけれども、映画には必ず世界を戦争から救う、世界を必ず平和に導く、そういう美しさと力があるんだよ。しかし戦争はすぐ始められるけれども、平和を確立するには少なくとも400年はかかるなあ。俺があと400年生きて映画を作り続ければ、俺の映画できっと世界を平和にしてみせるけれども、俺の人生はもう足りない。大林くん、君はいくつだ?  そうか50か。俺はもう80だ。しかし俺が80年かかって学んだことを君は60年でやれるだろう。そうすると君は20年俺より先にいけるぞ。君が無理だったら君の子ども、さらにそれがだめなら君の孫たちが、少しずつでも俺の先をやって、そしていつか俺の400年先の映画を作ってくれたら、その時にはきっと映画の力で世界から戦争がなくなる。それが映画の力だ。そのために俺は、さらに先輩である日本やアメリカやヨーロッパの人たちの映画から学んできた」。

映画というものはすばらしいものでね。太平洋戦争で日本はアメリカに負けたんですけれども、私たちがマッカーサーの指令で見せられた映画、なんとね、これはハリウッド映画というんですが、アメリカ映画じゃなかったんです。ハリウッド映画というのは、第一次大戦と第二次大戦で国を追われ、国を捨てて逃れてきた人たちが、アメリカという未開の国のハリウッド西海岸で、ここにならば私たちの理想の世界の、平和の世界の国を作ることができる。映画で作ることができるぞ、と作った映画なんです。

今でも8割がユダヤ系の人たちです。国のない人たちです。そういう人たちが作っていた敗戦国民の痛み、戦争の空しさをよく知っている国民の痛みを、私たちは観せられていたという、不思議なアイロニーに満ちた幸せもありましたが、これは何よりも映画というものがその創立から持っていたということですね。

この混迷の時代ですけれども、どうかみなさんもその映画の力を信じてください。未来に向けていつか黒澤明の400年目の映画を私たちが作るんだと。

黒澤さんが最期におっしゃいました。

「お願いだから、俺たちの続きをやってね。映画というものは、記録装置ではなくて記憶装置だから。人と人との心のつながりが、物語としてつなげるんだよ。それが映画の物語のいいところだ。この物語が、嘘をつきながら真を描くことができるんだ」。

戦争という犯罪に立ち向かうには、戦争という狂気に立ち向かうには、正義なんかでは追いつきません。人間の正気です。正しい気持ち。人間が本来自由に平和で健やかで、愛するものとともに自分の人生を歩みたいということがちゃんと守れることが正気の世界です。政治や経済や宗教までもがどうしても正義をうたうときに、私たち芸術家は、表現者は、人間の正気を求めて、正しい人と人の幸せの在り方を築いていこうじゃありませんか。

今の時代の危険は、すべてが他人事になってしまったこと

さて、そういう危機感の中で今年の「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」、とてもすばらしゅうございました。20年前にアメリカ帰りの別所さんが「日本でこんなものをやりたい」とおっしゃって、「できればいいな」と私も願っていました。

しかし参加をさせていただいたのは今回が初めてです。別所さんにもお伝えします。黒澤明先輩の映画へのリスペクト、映画への誇り、映画を信じる力、つまりそれは世界への平和を我々がたぐり寄せるんだという力、どうかそれを信じて、大いなる虚構のエンターテインメントの中、映画を作り続けていただければと思います。

楽しい作品がたくさんございました。今年を象徴するものとしてはね、運転手さんとタダ乗りの乗客の、友情と裏切りと、人と人とはどうやって繋がり合うのかという作品がありました。そう、人と人とはどうやって繋がり合うのか、あるいは繋がり合えないのかという希望と絶望との間にさまようのが、今年の作品でした。

しかしこの作品はあまりにもウェルメイドでね。この今の不幸な時代にこのウェルメイドはちょっと時代が違ったなという、つまりウェルメイドが存在しない時代です。したがって作品は暗い不幸な影に導かれておりました。

その今の作品の代わりに現れたのは、「窓」。窓とは世界を見渡す視点ですね。そこに過去にしかそのことのできない大人と、これから未来を生きる子どもとが、そしてその2人が繋がらないのか繋がるのか。繋がれば、きっと戦争の世代から平和の世代に行くでしょう。しかしそこが繋がらなければ、別の世界として終わってしまう。繋がるのか繋がらないのかというところに危うい期待をかけた作品がインターナショナルのプログラムにありましたね。

そしてアジアインターナショナル。これもすばらしゅうございました。今私たちはテレビ社会、情報社会のなかにおります。これはとても危険なんです。情報社会では情報が切り売りされてね、すぐ善悪で判断されてそれで終わってしまうんです。

となると、トランプの問題も、我が日本の政権の問題も、あるいは学園問題も、誰かが浮気をしたっていう問題も、巨人が連敗しているっていう問題も、等しく5分くらいの切り売り情報になりまして、等価値になってしまうんですね。で、是か非で終わっちゃうと。つまりは他人事になるんです。

今の時代の危険は、すべてが他人事になってしまったこと。こんな無責任な社会はない。そこでね、映画という力は他人事を我が事に取り戻す力です。このアジアインターナショナルの作品は、なんとテレビを捨てて、ジャングルに戻っていこうと。これは1つのユートピア幻想のようでもありますし、今私たちが切実に考えなきゃならないテーマかもしれない。この作品が決定した後ろには、テレビ人の小倉さんがいらっしゃったということにも、大変切実な問題がございますけれど。

と同時に我々はジャングルに帰るだけじゃダメだ、原爆をやめるならサルに戻れと。3.11の前に遺言のように言われて亡くなられた我らの先人の哲学者の言葉を借りつつ、この科学文明のなかで生きて来た人間の幸せはどこまで私たちが責務を持って辿らなければならないのかということを、科学文明の落とし種、映画を作る我々は、切実に考えなければならないと思います。

若い人たち、俺の続きをやってよね

さて日本の作品。これ正直一番甘かったです。切迫感がありませんでした。世界中の作品がそれぞれの立場において今の世界の、メキシコとの国境問題であるとか、あるいは極めて芸術的でアーティスティックな独裁者が作ったような殺人の映画とか、いろいろヒリヒリとするような時代を描いておりましたけれども、日本は、やっぱりそういう情報で甘やかされた国なんでしょうかね。この日本の作家たちに特に申し上げます。

しかし、そのなかにも優れた作品がございました。私が感動したのはね、あの若い女性が友人の男の子2人とニューヨークで暮らしている。その彼らの生活をキャメラでとっているのですが、キャメラマンとしてではなく、友達の視点として撮っているという作品なんですね。そしてそのことによって「ああ日本の若者たちも健全に育っているな。こういう人たちが21世紀を表現していってくれれば素晴らしいな」と思いつつ、やはりその危機感のなさに怯えておりました。

賞を獲りましたゴリさんの作品ですか。私もびっくりしました。この日本の同じ民族のなかにまだ風葬という習慣が残っていて、洗骨ということがある。なんと日本人でありながら私自身が日本のことをこんなに知らないのか。しかもそこに嫁いできた1人の嫁さんがそういう夫の故郷に帰って洗骨をするってのは大変なことでありますがアッと思いましたね。

このお嫁さん。女へんに家と書きますよ。そんな時代ですか。みんな夫と妻になっているはずですが未だにこのお嫁さんは家に嫁いでるんです。家に嫁いでいるから夫の里の嫌な洗骨まで立ち会うんですが、しかしその洗骨をすることによって我が家の、我が里の、我が家庭の、私自身のアイデンティティがそれによってわかっていく。

「そこにいまの日本の、まさに結びつかないバラバラの日本のなかで、日本人の血が絆を求めて結びついていく1つのヒントがここにあるのではないか」そういう意味でジャパン部門の優秀賞にさせていただきました。

1つだけ私は残念でした。ここにいらっしゃるかな。『人間ていいな』という作品だったかな。あるクラスで、思春期のクラスで、不思議な暗い少年がいます。その少年みんなから疎んじられているんですけどね。友達ができるんです。で、その友達が彼の肌に触れるとその肌がポロっと落ちたり、最後に握手しようとすると手がポロっとおちるんです。ここまでの演出力、演技力、映像の表現、見事でした。ここで終わっていれば私は断然グランプリにしました。

ところが残念なのは、この作品、ゾンビは他人で、ゾンビが人間社会に入って幸せになっていきますよ。だから人間はいいなっていうゾンビコントになってしまったんですね。ここに日本の作家に考えてもらわなきゃならない自分のアイデンティティ、自分はゾンビなのか。ゾンビを映画の素材としておもしろく描くのが映画か。それでは単なる映画です。自分がゾンビだと自覚するところから映画は庶民のジャーナリズムになります。

そう、ジャーナリズムとはまさに庶民1人1人が語るもの。民主主義の多数決なんかじゃありません。少数者の意見が尊ばれることこそが、健全な正気の社会です。そういう意味で全世界の少数者の一人ひとりであるみなさんが、自分自身の現代のヒリヒリとする感覚、結ばないものをなんとか結びつけて、なんとか戦争の世紀を映画の世紀にとどめようじゃないかと、その意図に黒澤オヤジが生きていらっしゃればきっと拍手をされてると思います。

そして私たちはそういう映画に、「映画とは風化せぬジャーナリズムである」「映画とはメイクフィロソフィー」「自分自身を確立する手段である」とそういう意識をもって生きていってほしいなと。長くなりましたが、黒澤明先輩が私個人にとどめた「俺の続きをやってよね」という言葉をみなさんに送って終わらせていただきます。

若い人たち、俺の続きをやってよね。ありがとうございました。