「異世界からきた」論文を巡って: 望月新一による「ABC予想」の証明と、数学界の戦い

2012年、数学界に激震が走った。30年近くだれも解けなかった「ABC予想」を京都大学教授の望月新一が証明したというのだ。ただ、その証拠である論文は「異世界からきた」と思われるほど難解で、誰にも理解できなかった…。それから、3年の時を経て、数学界最大の謎に立ち向かうべくイギリスでカンファレンスが昨年開かれた。そこで一体何が起きたのか。2017年7月下旬から再度京都で開かれるカンファレンスに備え、レポートを緊急掲載。[15年12月21日のQuanta Magazine掲載の記事を翻訳・転載]
望月新一による「ABC予想」の証明と、数学界の戦い:「異世界からきた」論文を巡って
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突如現われた謎

2015年12月初旬、3年間にわたって注目を集めていた「ミステリー」の新たな進展を目当てに、オックスフォード大学に数学界の目が向けられた。

京都大学の著名な数学者・望月新一教授の研究に関するカンファレンスが行われたのだ。彼は2012年8月に難解かつ重要な4本の論文を発表し、それを「宇宙際タイヒミューラー理論(IUT理論)」 と称した。それらの論文には、整数論において未だ解かれていない問題の1つである「ABC予想の証明」も含まれていた。

21世紀数学史上最大の偉業!?:「ABC予想」を日本の数学者が証明

日本の数学者望月新一が、素数間の和や積に関する問題、ABC予想を証明した。その証明には500ページも必要とした。この日本人数学者の業績は、ABC予想を証明するだけでなく、数学の新しい部門の発展に道を開くかもしれないということだ。「もし実証されれば、望月教授の技術はほかの問題の解決の鍵となりうる」という。

これらの論文において望月教授の主張する証明は、数学界に対する前例のない独特な挑戦であった。彼は20年近くの歳月をかけ単独で研究を行い、このIUT理論を構築した。実績と緻密さで評価を得ている数学者である彼の主張の影響は大きかった。だが、彼が発表した4本の論文はほぼ理解不能な上に、500ページを超える論文は全く新しい形式で書かれており、多くの新しい用語や定義がなされていたのだ。

より問題が深刻化したのは、望月教授が日本国外での講演依頼をすべて拒絶したためである。論文を読み解こうとした数学者の大半がこの新たな理論を理解できず、あきらめてしまうことになった。

それから3年もの間、この新しい理論はずっと放置されたままだったが、ついに15年12月、オックスフォード大学クレイ数学研究所に世界中から高名な数学者たちが集まった。望月教授の理論を理解するための、これまでで最大の「試み」が行われた。オックスフォード大の数学者であるキム・ミヒョンと、このカンファレンスの3人のオーガナイザーによれば、ついに“機が熟した”のだという。

「わたしや望月も含めみな、もう待ちきれないのです。数学界の誰かしらが行動を起こす責任があるように感じています」とキムは語った。「数学界にいる誰もが責任を感じていますし、わたしは彼の友人として、個人的にもその責任を感じています」

カンファレンスでは、3日間の予備講義と2日間のIUT理論に関する講演が行われた。そのなかには、ABC予想証明の根拠となっているといわれる4本目の論文に関する講義も含まれていた。望月教授の主張する理論の解明を期待して参加した者はほとんどおらず、望月教授の研究がどのようなものかをまず把握することを期待した人が大半だった。多くの参加者らは、望月教授の証明に今後の更なる研究対象となる新しいアイデアが含まれているかどうかを確かめたかったのである。

カンファレンスの最初の3日間は、その希望だけが高まっていった。

前人未踏の数学概念に挑め

ABC予想は、単純な等式「a + b = c」を満たす3つの自然数a, b, cに関して、3つの数の関係を説明するものである。3つの数字が互いに素である場合、a,b,cの互いに異なる素因数すべての積を1よりも大きい値(例えば、1.001)で乗じた結果は、有限個の3つの自然数の組み合わせを除いては、cより大きくならない。また、このような例外的な組み合わせの数は、素因数の積を乗ずるときの値に依存する。

自然数同士の「和」と「積」という一見無関係な値のあいだに「予想外の関係性」が見出されることをABC予想は仮定しているため、整数論を大きく進展させる可能性がある。数が3つの場合、aとbの素因数がcの素因数を制限するという明らかな理由はないのだ。

望月教授が論文を発表する12年まで、1985年に提起されたABC予想の証明はほとんどなされてこなかった。だが、このABC予想が数学における別の大きな問題とからみ合っていることを数学者たちは早くから理解していた。例えば、ABC予想が証明されることによって、整数論によって導かれた従来の結果は大幅に改善される。

1983年、現在ドイツのボンにあるマックス・プランク数学研究所の代表を務めるゲルト・ファルティングスが特定の法則をもつ代数方程式には有限個の有理解しかないことをしめす「モーデル予想」を証明し、さらにそれを発展させ、86年に数学のノーベル賞とも呼ばれる「フィールズ賞」を受賞した。これは「ファルティングスの定理」と呼ばれている。その数年後、ハーヴァード大学のノアン・エルキーズにより、ABC予想の証明によってがそれらの方程式が解けることが示された。

「ファルティングスの定理は素晴らしい定理ですが、有限解を発見する方法は提示されていないのです。そのため、ABC予想が正しいかたちで証明されれば、ファルティングスの定理の結果が拡充されることにもなるのです」とキムは言う。

23歳でプリンストン大学でPh.Dを取得、32歳で京都大学数理解析研究所教授に就任している望月新一。日本国外での講演をかたくなに拒んでおり、英国でのカンファレンス参加時も、テレビ会議経由で質問に答えた。
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ABC予想は、1980年代にフランスの数学者リュシアン・スピロが提唱した「スピロ予想」と本質的にはほぼ同じものである。ABC予想は整数の関係に内在する数学的現象を説明し、スピロ予想はその楕円曲線内の関係を説明するものである。スピロ予想では、楕円曲線が特定の代数方程式がもつすべての解の集合に幾何学的体系を与えている。

整数を楕円曲線として捉えなおすことは、数学ではよく行われる。これにより予想の証明はより抽象的かつ複雑になるが、同時に数学者はその問題に関してより多くの手法を用いることができるようになる。

アンドリュー・ワイルズが1994年に「フェルマーの最終定理」を証明したとき、彼はまさにこの戦略を取った。「2より大きい整数(n)に関して等式『 an+bn = c^n 』を成立させる正の整数の解はない」という問題をただシンプルな等式のまま扱うのではなく、二度の変換を通してより抽象的な定式化を行ったのだ。一度目は楕円曲線で、二度目が楕円曲線の「ガロア表現」と呼ばれる別の数学的手法である。こうして、彼はフェルマーの定理の証明に成功した。

望月教授も同様の戦略を採っている。ABC予想を直接証明するのではなく、スピロ予想の証明にまず着手した。その証明を行うためにまず、スピロ予想の関連のあるすべての情報を「フロベニオイド」と呼ばれる自らが生み出した新たなレヴェルの数学的概念へ変換した。

IUT理論に関する研究を始める前、望月教授はABC予想の証明を目指して模索しながら、新しい変換に取り組んでいた。彼はこの一連の概念を「楕円曲線のホッジ・アラケロフ理論」と呼んだ。残念ながら、これは突き詰めるとABC予想に適用できないことが判明したが、彼はその過程でこのフロベニオイドという概念を生み出した。

フロベニオイドがどんなものか理解するため、頂点がA, B, C, Dの順に並んだ正方形を考えてみよう(右下を頂点A、右上を頂点Bとする)。この正方形はその物理的な位置はそのままの状態で、さまざまに動かすことができる。例えば、反時計回りに90度回転したり(頂点が右下からD,A,B,Cとなる)。180度、270度または360度と回転させたり、ひっくり返して対角を入れ替えたりもできる。

こうして物理的な位置が保持される性質は、正方形の「対称性」と呼ばれる。すべての正方形は、このような対称性を8つ有している。さまざまな対称性をさらに追求しようとして、数学者は正方形すべての頂点にラベル(A, B, C, D)を与えそれらを集合として捉え、さらにその集合に代数構造を付加した。

この代数構造が付加された集合は「群」と呼ばれ、群が正方形という幾何学的制約から自由になると、新たな対称性が得られる。幾何学上の正方形においてはAが常にBの隣にあるため、幾何学的制約をもつ剛体運動によっては(A, C, B, D)という順番の頂点をもつ正方形はできない。だが、その群のなかのラべルだけで考えると全部で24通りのパターンが存在しうる。

このようにラべルの対称性がもつ代数的集合は、その幾何学的制約を取り払うことで3倍の情報をもつことになる。正方形より複雑な対象であれば、数学者はそれらの追加された対称性からオリジナルの図形を用いるだけでは到達できない知見を得ることができるのだ。

望月教授が生み出したフロベニオイドは、先ほどの「群」の概念ととても似ている。ただそれは正方形ではなく、特殊な楕円曲線から抽出された代数的集合である。上記の例と同様に、フロベニオイドは元の幾何学的性質より生じる対称性よりも多くの対称性を有する。望月教授は、楕円曲線に関するスピロ予想から得られるデータの多くをフロベニオイドに転換した。ワイルズがフェルマーの最終定理から楕円曲線へ、さらにガロア表現へ手法を展開したのとまったく同じように、望月教授はABC予想からスピロ予想へ、さらにフロベニオイドへ問題を展開させることで情報量を増やし、証明を試みたのである。

「望月教授によると、それは『数』という世界の背後にある、より根本的な事実を模索することなのです」とキムは言う。抽象的概念が追加されていくことで、これまで明らかでなかった関係性が表出しているというのだ。「抽象的なレヴェルにおいては、幾何学的なレヴェルよりも多くの事物の関係性が存在しているのです」

カンファレンス3日目の最後の発表と4日目の冒頭で、カリフォルニア大学サンディエゴ校の数論学者キラン・ケドラヤが望月教授がABC予想の証明にこのフロベニオイドをどのように用いようとしているかを説明した。彼のレクチャーにより、望月教授の手法において何が中核を成しているかが明らかにされ、それまでの時点で最も意義深い進展となった。望月教授の博士論文の指導教官であったファルティングスは、ケドラヤの講演が「インスパイアされるものだった」とメールに記している。

「ケドラヤの講演は、そのカンファレンスにおける重要なポイントでした」と出席したスタンフォード大学の数論学者のブライアン・コンラッドは語る。「その日たくさんの人に連絡しました。こんなテーマがケドラヤの講演で話されたから、明日とても興味深いことがわかるだろうってね」。ただ、結局は、そううまく事は運ばなかった。

困惑という希望

望月教授のフロベニオイドという概念により説明されたABC予想は、驚くべきと同時に好奇心をかき立てられる発明だった。だが、それ自体によって最終的な証明がどうなるのかまで説明されているわけではない。

しかしカンファレンスに集まった数学者たちは、このケドラヤによるフロベニオイド概念の講演により、望月の手法がスピロ予想の定式化にどのようにつながるかについて、初めてその真意を理解した。ただ次のステップこそが重要である。この証明を説明するために、フロベニオイドによる転換がいかに「新しく、かつ有効な手法」なのかが示されなければならない。

論文について講義を行う望月の高弟の1人、京都大学数理解析研究所講師・山下剛。
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この手法は望月教授が発表した先の「4つの論文」に記されていて、それがカンファレンスのラスト2日間の議題となった。この論文の説明を担当したのは、パデュー大学のチャン・パン・モクと、京都大学数理解析研究所の星裕一郎と山下剛だ。3人は、IUT理論の理解に集中的に取り組む数少ない数学者である。しかしだれも、彼らの話にはついていくことができなかったという。

テキサス大学オースティン校の数論学者フェリペ・ ヴォロックは、同カンファレンスに出席し、5日間にわたる様子をGoogle+に投稿している。彼はコンラッドと同様、ブレイクスルーを期待して木曜の講話を聴講したがそうはならなかった。4日目の最後の方に、彼はこう投稿している。「午後の休憩時、参加者すべてが戸惑っていました。わたしは参加者たちとたくさん質問を交わしましたが、誰も手がかりを掴めていませんでした」。専門用語の嵐だったと、コンラッドはその心情を語った。

「そうなってしまったのは、その考え方自体に困惑したからではありません。講演という短い時間に提供された情報量があまりに多過ぎたということです。この研究に関する背景知識をもたない参加者たちとも話をしましたが、みな完全に途方に暮れていましたね」

フロベニオイドがIUT理論でいかに用いられるかを説明する最後の講演が失敗に終わったことは、予測できたと考える参加者は多い。

代数方程式について参加者と議論を交わす山下と、望月の研究室から参加したもう1人の京都大学数理解析研究所講師・星裕一郎。

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「最後まで理解できるという僅かな望みもあったとは思います。ただ、あの部分は原論がより難解になっています。だから、わたしの後に担当した発表者に責任がある訳ではないのです」とケドラヤは語った。

最後の講演が失敗に終わった背景の一部には「文化の違い」もあった、とキムは考えている。説明を担当した山下と星は、2人とも日本人だ。「日本では、数学者がプレゼンテーションを行う場合、用語の定義を絶えず続ける傾向がある。文化的違いが現れたのです」とキムは言う。「忍耐力と集中力が必要とされる、内容が濃く詰まったスライドが、日本では受け入れられるのです。一方、アメリカの場合は弁証的で双方向なスタイルが好まれます」

このカンファレンスを通して、一部の人が実際に期待していたような明白な結果が得られなかった一方で、理解への一歩という点では、前進があった。ケドラヤはカンファレンスの後により多くの知識をもつ人と連携する意欲がわき、今年7月京都大学で行われる次のカンファレンスに参加する予定だという。

「この僅かな前進でも悲観してはいないんです」とケドラヤは言う。「もっと期待はしていましたが、少なくとももう一度カンファレンスを開催し、さらに先へ進むことができるかを確認する価値があると思っています」

一方で、自身の研究について望月教授に詳しく説明する責任があると考える人もいる。ファルティングスはEメールで「個人的には、望月自身がみんなが理解できる論文を書かなければ、解決しないという印象を受けました」と書いている。

キムはその必要があるとは考えていない。カンファレンスが終わりオックスフォードを離れた後、参加者が抱いた“困惑”について彼はじっくり考えた。彼によると、それはよい困惑であり何かを学んでいる最中に訪れるものだ。

本記事(原文へのリンク)は、
Simons Foundationが発行するサイエンス雑誌『Quanta Magazine』の許諾の下、翻訳転載したものだ。Simons Foundationは数学や物理学、生命科学分野の研究開発や動向を取り上げ、科学の大衆理解を拡大を目的とする財団である。
QuantaMagazine.org


「このカンファレンスに先立ち、ほとんどの参加者が論文に書かれた望月教授の試みに関して予備知識が足りなかったようです」とキムは言う。「先週のカンファレンスではみな戸惑っていましたが、望月教授がやろうとしていることの概要はつかめたと思います。どうしたらそれを完全に理解ができるのでしょうか? それはあいまいな質問かもしれません。ただ疑問は増えましたが、1つひとつがより洗練されたことは疑いようがないのです」

【2016年7月18〜27日にわたって、京都大学数理解析研究所で、IUT理論に関する国際共同研究「IUTサミット」が行われる。望月、山下、星を含む17名が講演を行う予定。詳細はこちらから。】

TEXT BY by KEVIN HARTNETT FOR QUANTA MAGAZINE

PHOTOGRAPHS BY by GOTTINGHAM

ORIGINAL STORY REPRINTED WITH PERMISSION FROM by QUANTAMAGAZINE.ORG