日本人なのに書を知らない、あるいは、書に興味がわかない。そう思ったことはないか。絵や仏像が見られる展覧会には出かけても、書だけの展示となるとなかなか足が向かない…そんな人もいるのではないだろうか。そんな人間が自分だけならいいのだが、という自戒を込めた話だ。

 もっとも、書は日本の伝統技法とはいえ、日常生活で筆を持つ機会はほとんどない。小中学校の書写・書道の時間のほかには必修科目として学ぶ機会もあまりない。こんな現代の教育事情を考えれば、書への親しみが薄くても、ある程度はやむをえないことかもしれない。

 しかし、それはあまりにももったいないことである。書はもともと中国から伝わった。だが、文学や絵画と同じく、日本の中で独自の展開をし、極めて魅力的な表現を花開かせた文化だからだ。

 こうして書のことを改めて考えたのは、東京の出光美術館で開かれている「書の流儀」という展覧会で、書の見方をとても丁寧に紹介しているのを見たからである。書への愛をも感じる展示だったといったら大げさに聞こえるかもしれない。だが、書を見る喜びを共有しようという気概にあふれていたように感じたのだ。

 担当学芸員は同館の笠嶋忠幸さん。大学時代に書を学び、『日本美術における「書」の造形史』(笠間書院)などの著作を持つ、書の研究者だ。同館では笠嶋さんの企画で「文字の力・書のチカラ」という展覧会を2009年からシリーズで開いており、今回はその3回目である。

書を風景として楽しむ

 筆者の目を開いてくれた数々の展示作品の中で、特に注目したのは、桃山から江戸時代を生きた僧侶で能書家の松花堂昭乗の「水草下絵三十六歌仙和歌色紙」だ。画面は約20センチ角。昭乗は、金泥で水草が描かれた料紙の上に三十六歌仙の一人、中納言朝忠の和歌をしたためている。

松花堂昭乗「水草下絵三十六歌仙和歌色紙」(桃山時代、出光美術館蔵)

 あふ事のたえてし
 なくはなかなかに
 人をも身をも
 うらみさらまし

 小倉百人一首に採られた歌なので、記憶の底にあるという人も多いと思う。古文を読める人なら意味はすぐに分かるだろうが、ここではあえて現代語訳を書かずにおきたい。以前、笠嶋さんから聞いた解説の中に「書には景観がある」という言葉があり、書かれた文字の意味よりも先に風景として書を楽しむことから始めたいからだ。

 さてこの作品の「景観」はどうだろうか。詠み人の名を書いた漢字に始まる右側部分は文字が太く、主張が強い。一方で、真ん中より左のひらがなが連なる部分は、実に流れが軽やかだ。何とリズム感のある表現なのだろうと思う。ひらがなの中にある「人」という文字の大胆な造形は、書であることを離れ、絵になろうとしているようにも見える。全体としては優美。その中で、極めて変化に富んだ画面が創出されている。

 漢字とひらがなが混じった文章を記すようになったからこそ、独自の展開を見せたのが「和様の書」と呼ばれるスタイルだ。ひらがなはそれだけで独自の世界を作ったのではない。漢字の書き方にまで影響を与え、日本独特の柔らかな表現の世界を、早くも平安時代から創出していたのだ。昭乗のこの作品も、その系譜上にある。

 実はこの作品が展示されているのは、展覧会では6番目の章にあたる「流転する流儀」と題された一画だった。いわば平安時代以来の伝統が熟した桃山から江戸初期の文化の中で花開いたのが昭乗の表現だったわけだ。

 俵屋宗達とのコラボレーションで知られる本阿弥光悦が活躍したのもこの時期だ。同じ一画に展示されている光悦の「蓮下絵百人一首和歌巻断簡」を見ても、表現が熟していることはとてもよく分かる。墨の濃淡がもたらすアクセントと動き、続け字やくずし字がもたらす変化や流れのありようは、穏やかな天候の下でなだらかな山が連なる山脈の稜線のシルエットでも見るときに感じるような、優美な「景観」をなしている。

本阿弥光悦「蓮下絵百人一首和歌巻断簡」(桃山時代、出光美術館蔵)

ひらがなの面白さを楽しむ

 この展覧会の展示は中国の書との関係に始まっているが、全体としては時代の流れにとらわれていない。たとえば2番目の章にあたる「文人の流儀-面影をうつし、語らう」と題されたコーナーでは、江戸時代の頼山陽や明治の木戸孝允の書を紹介している。専門の書家ではなく、文字を知っている人なら誰でも書くのが「書」だったのだから、文人や学者、政治家の書にも見るべきものは多いはずである。いわば書を支えたのがどんな人々だったのかを、初めのうちに明らかにしようというわけだ。浦上玉堂、田能村竹田、富岡鉄斎ら文人画家の書もここにある。

 「和様の書」が確立した時期である平安時代の書が展示されているのは、4番目の章にあたる「古筆の流儀-日本美の原点から」。たとえば、伝・紀貫之の「高野切第一種」。

伝・紀貫之「高野切第一種」(平安時代、出光美術館蔵)

 たくさんの文字が書かれた中に、漢字が3文字だけ含まれているのだが、分かるだろうか。冒頭の2文字はすぐに見分けがつくだろう。「寛平」と書いてある。もう1文字は、左から2行目の一番下の字。「花」と書いてあるのだが、もはやひらがなと同化していると言ってもいいほど簡略化され、柔らかな筆跡で書かれている。

 こうした作品におけるひらがなのあり方は実におもしろい。象形文字から発展した漢字が日本で簡略化され、記号化した産物がひらがなであるのは周知の通り。しかし、この作品のように、文字の太さの変化や流れ方の緩急がつくと、ひらがなはもはや単なる記号であることを離れようとしているように思えてくる。言葉の意味も超えて、再び造形表現の世界へと飛翔しているのだ。

 「宮廷の流儀-雅びの象徴と伝播」と題した章では、平安の古筆を学んでものにした伏見天皇の「筑後切」などを見せ、優美の継承を説く。「墨跡の流儀-墨戯・遊芸」の章にある一休宗純の「七佛通戒偈」や慈雲飲光の「道在近」、江月宗玩の「賓中主々中賓」は、縦長の一行でそれぞれが大胆な個性を主張している。日本の書が持つこれほどの多様な流儀と多様な景観を楽しまない手はないだろう。 

伏見天皇「筑後切」(鎌倉時代、出光美術館蔵)
左:一休宗純「七佛通戒偈」(室町時代、出光美術館蔵)
中:慈雲飲光 一行書「道在近」(江戸時代、出光美術館蔵)
右:江月宗玩 一行書「賓中主々中賓」(江戸時代、出光美術館蔵)

 改めて振り返ると、小学校で書を学ぶ機会があるのは、とてつもなくありがたいことだと思う。おそらく多くの人は、おとなになっても墨をすずりですり、筆を持って半紙に向かえば、なにがしかの字をそれらしく書くことはできるのではないだろうか。

 ただ、教師にもよるとは思うが、かつて学んだのは、整った文字を書くことだった。絵画のデッサン練習のようなもので、まずは筆を自由に操る必要があるので仕方ないことだともいえる。一方、歴史に残った墨跡が見せてくれるのは、必ずしも整った文字ばかりではない。そんなことを展覧会で感じるのも、悪くない体験だと思う。

展覧会情報
「文字の力・書のチカラIII 書の流儀」
出光美術館(東京・丸の内)、2016年1月9日~2月14日
まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

春割実施中