BS歴史館 シリーズ英雄伝説(2)「聖徳太子は実在したのか!?」
動画に在ったので、メモしました。何かの参考にしてください。



聖徳太子架空説があり、十七条の憲法は本当に聖徳太子が作ったのか?
太子の考え方や政治は、七世紀初頭の先端を行っていたことは事実。
 
大阪四天王寺 1400年前 日本最古 聖徳太子が建立 隣の病院に太子の像がある
薬師の守護神 施薬院の流れを汲む四天王寺病院 
厩戸の皇子と言われている 日本の基礎を作ったというが?
主に日本書紀に記録がある 推古天皇の摂政となり聖徳太子と呼ばれる。
 

しかし593年に皇太子になったと書いているが、

当時の日本にはまだその制度はなかったはず。

ということは、後世に書き換えられたのではないか

聖徳太子の業績は、厩戸の皇子一人によるものではないのでは?
斑鳩宮と寺を作ったのは確認している。

遣隋使も 601年始めの遣隋使で失敗し、外交に力を入れる 

高句麗の僧えじの力で改革を進め、当時の先端の知識や技術を集める。

 

渡来人の力→ブレーン政治 →仏教で人々をまとめた、聖徳太子の「和」
渡来人は敵国同士の者も居たが日本では争っていない。それは仏教があったから。

仏教が渡来人をまとめていた。

十七条の憲法は日本書紀にしか記録が無いのは怪しい、推古記。
古代中国語で書かれているが、文法の間違いがたくさんあり、写し間違いではなく、

原書が間違っているのでは?

推古記の十七条の憲法は、聖徳太子ではなく推古記の執筆者が書いたものでは? 
冠位十二階は中国の書にも記録があるので本当らしいが、十七条はハツキリしない。

乙巳イッシの変 大化の改新について、

蘇我氏と太子の経緯 本当の理由は? 蘇我は何故殺されたのか? 
日本書記には大邸宅を立て天皇を乗っ取ろうとした、と書かれているが、
実際には遺跡を調べると蘇我の家は大きくは無かった。 
日本書紀の、逆賊蘇我氏の下りは書き足したものである。
書き方のくせから、厩戸の皇子の所も手を加えている。太子を聖人化して書いている。

その人物が日本書紀全体を作り変えているとしたら? という説。
中大兄皇子と中臣鎌足大化の改新の正当性を強調するために日本書紀に手を加えた。
当時も司馬遷「史記」が知られていて、史記のように書こうとしたのではないか?
そのため太子のところを感動的に書いた。

太子の改革は百年後に律令国家として大成するが、
その時は蘇我氏によって滅ぼされて子孫は居ない、という悲劇性により
その後の日本人の心に「聖人」聖徳太子のイメージが作られていく。

つまり、聖徳太子の業績は太子の傘下に居た渡来人のブレーンがやっていた
超人的伝説は、大化の改新を正当化しようとした中大兄皇子たちが
蘇我氏を悪者にするために、太子の業績を誇張して

日本書紀を加筆したもの、であるという説がある。と、NHKの歴史番組でやっていました。

私の見方としては、聖徳太子は霊界には実在しています。

神社や祠で見かけました。偉人なので、誇張されて伝えられたのはその通りだと思うけど。


でも、聖徳太子って病気の神様でも在ったんですよ。

霊界で、お釈迦様の弟子になって、衆生救済に尽力するのですが、

衆生の救済というのは、現世でいえば、病気治しですから。

魂が救われると、病気が治るという形で現れます。

そうそう、私の守護霊さんと個人的な知合いです、厩戸さん。。。
お釈迦様の霊界通信もるので、何か縁があるみたいです。

私の守護霊は、島さんと言います。聖徳太子の周辺にいた人物です。

 

 

 

 

ランキングのご協力お願いします!

   ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアルメッセージへ
にほんブログ村

 


スピリチュアルランキングへ

 

 

スピリチュアルブログ
水戸スピリチュアル 茨城の母
ポンタ社長の夢占い
茨城県の占い師
水戸スピリチュアル