南スーダン撤退 あの日報を引きずり出した情報公開請求の「威力」

全ては一つの疑問から始まった

火をつけたのは、ひとつの文書

まさに青天の霹靂というほかない。3月10日、午後6時。安倍晋三首相は、南スーダンにPKO派遣されている自衛隊の部隊を、5月末をめどに撤収させる考えを明らかにした。

今国会では南スーダンの治安を巡り、与野党間で激論が交わされた。火をつけたのは、ひとつの文書だった。

政府はこれまで「自衛隊が活動する首都のジュバ市内は比較的安定している」と繰り返してきたが、現地の部隊が昨年7月に作成した「日報」が発見され、そこに<戦闘>という文言があったことが明らかになり、様相は一変。「戦闘地域に自衛隊を派遣することは、PKO法にも憲法にも反している」と指摘する声が続出したのだ。

安倍首相は撤退の理由について「南スーダンでの活動が今年1月に5年を迎え、部隊の派遣としては過去最長となり、一定の区切りをつけられると判断した」と語ったが、「日報」が発見されたことで議論が再燃し、それが撤退の判断に影響を与えたのは明らかだろう。

本来なら公開されることのなかったこの文書が明るみに出たのは、昨年9月、ジャーナリストの布施祐仁氏が防衛省にかけた情報公開請求がきっかけだった。布施氏が血道をあげた日報問題。その経緯を振り返りたい。

きっかけは「教訓要報」

そもそも情報公開請求をかけるには、ある程度具体的に「この情報を開示してほしい」と指定しなければならない。つまり、日報の存在を知らなければ、請求のしようもない。布施氏が防衛省に日報の公開請求をかけたのは、昨年9月末のこと。布施氏はどのようにして、日報の存在に気づいたのか。

話は2015年9月、安全保障関連法案が国会を通過した直後にさかのぼる。

「安保関連法が成立したことで、自衛隊の新任務として駆け付け警護が認められることになりました。当時より政府は南スーダンに自衛隊をPKO派遣していたので、最初に駆け付け警護任務が付与されるのは、南スーダンのPKO活動になることは明らかでした。そこで、南スーダンに派遣されている自衛隊の活動について、情報公開制度を利用して詳しく調べてみようと思ったんです。

とはいえ、こちらは防衛省がどんな文書を持っているかは分からないので、最初は大雑把な内容で請求をかけるしかない。まずは、2013年12月に南スーダンで内戦が勃発した時に活動していた、第5次隊の活動状況をまとめた文書を開示請求しました。おそらく、報告書のようなものは存在しているだろうから、それを出してほしい。と。

すると、『教訓要報』という文書が開示されました。いわば、現地で発生したさまざまな事案と、そこからくみ取るべき『教訓』をまとめた資料です。ここに<自衛隊宿営地近傍で発砲事案が発生し、全隊員が防弾チョッキ及び鉄帽を着用><宿営地を狙った襲撃・砲撃も否定できない>といった、現地の緊迫した状況が記されていたのです。『平和維持活動』と言っているけど、これはもう戦争だな、と」

 

「教訓要報」によって改めて南スーダンの危険な状況を認識した布施氏は、他にも重要な資料があるはずだと、以後、防衛省に継続的に文書の公開を請求した。

「その過程で、南スーダンに派遣される隊員を教育する『国際活動教育隊』が使っているテキストが開示されました。そのテキストに、隊員たちの訓練内容を検討する上で、派遣部隊が作成する『日報』を基礎資料として活用している、と書かれていた。これが、日報の存在を知るきっかけでした」

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