日本の農業が目指すべきお手本として、よく取り上げられるのがオランダの施設園芸だ。ITを駆使したハウスの管理と、農業を輸出産業へと変貌させた企業努力と政策は、農地の狭い日本の農業が生き残りの活路を開くべきモデルとされている。

 だがふと疑問が浮かぶ。オランダの何が本当に優れているのか。日本はオランダから一方的に学ぶことしかできないのか。その答えをさぐるため、今回はオランダで会社を立ち上げ、トマトの生産と栽培コンサルティングに挑戦している今井寛之氏を紹介したい。

トマト農家で育ち、24歳でオランダへ

どうやってオランダとのつながりをつくったんですか。

 「実家は神奈川県のトマト農家です。ぼくが小学生のころ、土壌に病気が出て、父親は水耕栽培を始めました。県内で1番目か2番目の早さだったと思います。いまから30年くらい前のことです。高校は農業高校に進みましたが、そこで環境制御や水耕栽培の基本的な技術を学ぶことができて、オランダの技術が世界でも類をみないほど生産性が高いという話を聞きました」

 「大学を出たあと、実家で就農しましたが、オランダに行きたいという気持ちがずっとあって、コンタクトをとり始めました。人づてで現地にいる日本人の通訳と知り合って、その人に農場の住所を調べてもらい、手紙を書きました。そのなかで1軒だけ『受け入れてもいいよ』と言ってくれる農場があり、オランダに渡りました。24歳のときです」

オランダで日本の品種の栽培に挑む今井寛之氏(写真は今井氏提供)
オランダで日本の品種の栽培に挑む今井寛之氏(写真は今井氏提供)

現地で何を感じましたか。

 「農場は(農学で有名な)ワーゲニンゲン大学の近くにありました。広さは当時で17ヘクタール、いまは50ヘクタールを超えています。最初の1週間は本当にすごいと思いました。チーム分けがきちんとされていて、作業は決められたルールを守ることで作物の品質を一定に保つことができる。家族経営しか知らなかったので、ショックを受けました」

 「1週間たつと、日本人独特の商品に対するこだわりを意識するようになりました。彼らはその部分のプライオリティーが低い。彼らがプライオリティーをおいているのは、一定の品質で生産性が高いこと、何より人件費を削ることです。これに対し、顧客をどう満足させるかが日本の農業の形です。生産性を高めた状態でどう品質を維持するかを考えながら作業しました」

ほかに現地で学んだことはありますか。

 「オランダにいた1年半の間に、ワーゲニンゲン大学の生産者向けの講座で勉強することができました。日本の大学とはちょっと違います。研究者のための研究ではなく、あくまで産業の発展に貢献するための場所という位置づけです。研究者は生産者のマネジメントを効率化するために研究する。どちらもモチベーションが非常に高い」

 「ぼくらは二酸化炭素(CO2)や肥料のコスト管理を2週間や1カ月の単位で考えていましたが、彼らは1㎡単位で毎日のように調整できる細分化されたコントロールの技術を持っているんです。そしてその一つ一つに疑問を持ち、お互い議論していく」

 「例えば、どういうタイミングでハウスの窓を開けるべきか。開ければCO2が減ってしまうが、ではどういうタイミングでCO2を発生させるか。植物の健康をどう維持するか。ハウス内が暑くなりすぎると、ワーカーが働きにくくなるが、その問題にどう対処するか。そういうことまで細かく話をするんです」

 「研究者は統計的なアプローチをしますが、生産者がつねに数字で考えているのでよく伝わるんです。ぼくは最初に参加したとき、まったく分かりませんでした。生産性と言っても、収穫量と販売量を単純に把握し、作業の進捗度合いを人が目で確認する程度で、数字化まではしていませんでしたから」

勢いを調整、糖分たっぷりのハート形に

日本では何に取り組みましたか。

 「特殊な技術を使い、丸いトマトをとんがった形にし、切ると断面がハート型になるトマトづくりをしました。温度や水、光、肥料の管理の仕方を調整して植物にストレスをかけ、植物の勢いをコントロールします。植物はそれに合わせて糖分をたくわえようとする。その作用を使っておいしいトマトをつくるんです」

 「マーケティングももっと細かいやり方が必要だと思っていました。父親は農協の生産組合に入っていて、決められた量を決められた販売先に納めていました。ぼくはその危うさを感じていたので、独自にスーパーと契約し、インターネットでも売るなど、直売を始めました。販売する力をつけるためにも、特殊な栽培方法をする必要があったんです」

今井氏の技術でつくったトマト。先がとがり、切るとハート型になる(写真は今井氏提供)
今井氏の技術でつくったトマト。先がとがり、切るとハート型になる(写真は今井氏提供)
収穫されたトマト。農場がどこまでも続く。(写真は今井氏提供)
収穫されたトマト。農場がどこまでも続く。(写真は今井氏提供)

オランダに進出するきっかけは。

 「オランダから戻ったあとも、農場の経営者の息子のバート・バンデンボシュ氏、いまは彼が経営者になっていますが、彼らとずっとコンタクトをとっていました。定期的にオランダに行って情報交換もしました。そのなかで『こっちで日本の品種をつくってみたらどうか』という提案があったのです」

 「オランダ人にできて日本人にできないはずがない。日本人らしい生産をオランダで試してみたいとずっと思っていました。ぼくが得意としている高糖度で食味のよいトマトを向こうでもできるかどうかを試したい。そう思って5年前からテスト栽培を始め、彼と共同出資で3年前に会社化しました。バンデンボシュの50ヘクタールの農場のうち、5ヘクタールを借りてます」

 「これとはべつにコンサルティングの会社もつくりました。日本には日本人の味覚の鋭さを背景にした食味の文化があり、特殊な分析の方法も持っています。食味を意識しているオランダの農家から『アジアで受けるかどうか食べてみてほしい』といった話が来ます。彼らをブランディングすることができればいいと思っています」

過度の選択と集中で多様性が乏しく

オランダの課題は何でしょう。

 「オランダの農業は主要農産物のトマトが過剰生産と、スペインなどとの競合で価格が安値のままという課題を抱えています。産業の過度の選択と集中で多様性が失われたことが原因です。小売店の寡占化が進み、トマトでは大玉、中玉、ミニというサイズごとに1、2種類が並べられているだけの店が多いでのす」

 「オランダの農業の強さは特定のニーズをくんだ生産品目の選択にありますが、背景には食のニーズが多様性に乏しい市場構造があるのです。オランダの農業法人の経営力、施設園芸のハード、ソフトの両面の質の高さは健在ですが、選択と集中の源となった市場構造が多様性を低下させ、スペインやポーランドの追随を許すことになったのです」

 「これに対し、日本は販売チャネルが多様で、生産者は異なる消費ニーズに応えることが可能です。日本の食文化は素材の良さをいかす点に特徴があり、海外の料理を日本風にアレンジすることも含め、多種多様な食材で料理の味を広げていきました。その結果、トマトを例にとると、大きさの違いだけでなく、サラダに適した品種、糖度が高くデザートのように食べる品種、加工用の品種など豊富な品ぞろえがあります」

今後の展開をどう考えますか。

 「オランダの農業の強みと、日本の食文化の多様性を反映した農産物市場をつくるには、ダイレクト流通を核とした市場構造改革が必要だと思っています。商品が画一化しやすい卸売市場や大型小売店を通さないため、消費者のニーズが生産者に伝わりやすいからです。特定のニーズにしぼり込んで効率的に営農し、ブランディングをするのです」

 「日本からオランダに参入する狙いはそこにあります。こうしたノウハウは日本だけでなく、北米やオセアニアでも展開できると思っています。オランダの農業は間違いなく、日本の農業の発展の道筋を描くための教材です。ただ日本の農業は競争力の低さばかりが指摘されますが、生産と消費の多様性ではオランダなどより優位な状況にあります。それを認識することが、日本の農業がグローバル市場で競争するための出発点になると思います」

規模があってこそのポテンシャル

 インタビューではこのほかにも、「栽培を絶対に失敗させない管理方法」や「高い技術を持った外国人チームによる栽培管理」など、日本の農業を改革するうえで示唆に富む話がたくさんあった。ただ、今井氏の指摘は、日本の農業の優れた点も再認識すべきだという点にあり、オランダの優位性ばかりを強調したような印象にならないよう、いくつかの論点は割愛した。

 それにしても、スケール感があまりに違うのは否定できないだろう。日本ではトマトの栽培ハウスが数ヘクタールあれば「広大な」といった表現が使われる。これに対し、今井氏が現地で借りているハウスは生産と販売が本格化するのはこれからの段階でも5ヘクタール。農場全体でみれば50ヘクタールもある。

 しかも、オランダと日本のトマトの生産量はオランダのほうが若干多い状態にもかかわらず、日本のトマト農家は約2万人いるのに対し、オランダはトマト農場の経営者が約300人しかいない。市場と生産の画一性という課題を抱えているにしても、効率性の差は歴然としている。

 日本がオランダの農業の強みから学ぼうにも、ここまで細切れの農業構造のままでは、受け皿になりにくい。それはけして抽象論ではなく、今井氏によると、例えば「温室が大きいと、環境の変化がゆるやかになる。小さいと、陽光が当たるとすぐ高温になるなど、ピークが極端になりやすい」など生産性向上の妨げになる。

羽田空港からオランダに向けて出発する今井氏。8割の時間をオランダで過ごしている
羽田空港からオランダに向けて出発する今井氏。8割の時間をオランダで過ごしている

 農業関係者はよく「穀物と違い、施設園芸は狭い面積でも利益を出すことが可能」と説明する。だが、それは狭いほうがいいという意味ではない。施設園芸が本来持つポテンシャルを生かすため、規模観を考え直す必要があるだろう。

 日本での生産と販売の経験をふまえ、オランダで挑戦する人があらわれたのは驚きだが、そういった人材はまだあまりに少ない。日本の農家はもっと海外のことを知ったほうがいいのだろう。そうすれば、いままで無意識に措定していた農業ビジネスの壁を突破し、自らの強みに気づくことできるはずだ。

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