Evidence、最後の最期には大事になるのは勿論だけど、それに縛られるのは”阿呆”だと思う。
私のスタンスは常に今ここまで分かっている、だから延長上ではこうなるのだろう、こうしたい、と言う考えの元に治療している。
正直に言ってしまえば、2000年頃なんて、Evidenceなんてのは邪魔でしかなく、私が患者さん救いたくてしている仕事、して来た仕事は、Evidence楯に取る先生方に揶揄、中傷、攻撃され捲るモノでしかなかった。
Evidenceは?とかなり上から目線で言われること夥しく、そんなもの世界の何処にもある訳がなく、暗に何やってんの?馬鹿じゃないか、と言う反応だった。
だから、私自身はEvidenceは親の仇、見たいな存在にしか映らず、長年の宿敵、と言う感覚しか抱けない。
それが、この頃になって、私のして来た仕事に擦り寄るような臨床例、論文の発表が後付けでEvidenceに則った仕事である、と言う見方されるように成って来た。
笑ってしまう。
私は何にも変わらない。
変わって来たのは世の中だ。
私は常に即時荷重、それも部分的欠損への適用を目指して必死で頑張って来ただけ。
そして、本当に幸いなことに恩師ラム先生に薫陶を賜り2003年から低侵襲外科手術でのやり方にシフトしてやり続けて来ただけ。
何にも変わらない。
変わったのは周り。
結局、2000年から始めて来た部分即時荷重インプラント治療、2003年から始めた低侵襲外科手術が、恩師ラム先生が言っていた通り「ユー・ルック・ザ・トゥルース。ユー・トラスト・ミー?」(お前は真実を見た。私を信じるか?)だっただけだ。
そんなもん。
だからEvidence、Evidenceと鬼の首取ったみたいに言うのは止めた方が良い。
どうせ何時かは変わってしまうんだから。
科学とは、新しい法則を見つけ出すこと、なんだから。
Evidenceが法則である可能性は高いかも知れないが、そうではなくて書き換えられる可能性も同じように高い。
そこを忘れて振り回したり、振り回されたりは実に愚かなことだ、と明言する。
私なら、せいぜい現時点で分かってるEvidence、としか言えないな・・・
これらの部分欠損即時荷重インプラント治療なんて、今でもEvidenceはかなり怪しいモノ。
私は2000年からやり続けて1000に及ぶ症例数と、成功率98%以上を叩き出せているから私の中、私の診療ではEvidenceがある、と明言出来る。
でも、それは他の先生方にそのまんま当て嵌まるもんじゃあない。
こう言うことが出来るように成る為の基準、目安は、私には話せるし、その為の到達すべき手技、技術レベルも勿論話せる、と言うか、世界中探しても多分私にしか話せないだろう。
真理は話せば実に単純なんですがね。
植立トルク値35N以上、心配なら45N以上。
サイトプレパレーションをしっかりやること。
メインテナンスを欠かさないこと。
これが3大原則。
勿論、細かなノウハウを話し出すともっともっと色々あって、それだけで2日間位目一杯話すことになるだろうけど、この3大原則は絶対に欠かせないし、ここから全てが派生する。
真理なんてそれだけのこと。
Evidenceは真理じゃない。
今ここまでしか分かってない、と言う地図、でしかない。
だから、私は乗り越えて進みます。
自分の確信信じて。