一燈照隅

日本が好きな日本人です

なよ竹の…

2006年06月26日 | 日本の心
「なよ竹の風にまかする身ながらもたわまぬ節はありとこそきけ」
西郷千重子


弱いなよ竹のように吹く風に連れてゆれ動くばかりの弱い女の身だが、そのなよ竹にはどんな強風にも曲がらない節があると聞く。私も節義に殉じて一死を選ぶ。

西郷千重子は会津藩家老西郷頼母の妻。
戊辰戦争で兵力で勝る新政府軍は会津にも攻めてきました。慶応四年八月二十三日新政府軍は会津城下に侵入してきました。
この時兼ねてからの合図である士族家族の入城を告げる鐘の音が鳴り響きました。
しかし、西郷頼母邸では、家を守る母と妻千重子が子女に向かって「お城に入って殿様に従いたいが、子連れではかえって足手まといになるやもしれぬ、むしろ自刃して国難に殉じたい」と伝え、長子吉三郎のみを城に入れ、頼母の母律子、妻千重子、妹眉寿子、由布子、長女細布子、次女瀑布子、三女田鶴子、四女常磐子、五女季子、他縁者の計二十一名が自決しました。
この時に千重子が残した辞世がこの「なよ竹…」です。

二十年ぐらい前、年末の民放番組で「白虎隊」を放送したのを見たのですが、その中でこの自刃の場面が描かれていたのを思い出します。
武士の妻と言うか、本来の日本女性の気持ちを表しているように思へます。
私は偉そうに言えませんが、今は男女問わず、この辞世と逆な人が多いのではないでしょうか。


引用
「名歌でたどる日本の心・スサノオノミコトから昭和天皇まで」
国民文化研究会・小柳陽太郎編 草思社


最新の画像もっと見る

コメントを投稿