「神父さんや牧師さんの性犯罪が在りますが、霊界の神父さんはどう思いますか?

 最近では、アルゼンチンの障害者施設で、神父が入所している障害児に性的暴行をして、

 それをほう助したとして、日本人の修道女のクミコ・コサカも逮捕されたそうです。

 調べてみると、カトリック神父の性犯罪は世界で多発しています。

 トマス神父はどうたったの?答えたくなければ良いですが。。。」

 

カトリックだけでなく、昔から聖職者の性犯罪は在りました。

それだけ男性の性欲は強いのでしょうけれど、それなら還俗すればいいのにね。

 

 

≪聖職者の性犯罪はもっとも罪が重い★トマス神父の霊界通信≫

 

教会と言う限られた場所で、神父と言う特権を与えられると、誰でも尊大になるものです。

信徒に信頼され、真面目な性格の神父ほど、「自分は特別な人間なのだ」と錯覚します。

悪魔のささやき、ですね。そこで、目の前に弱い立場の者が居ると、

搾取の対象とするのです。性犯罪者の神父も、犯罪になるという自覚はあるでしょうけれど、

相手は自分より低い人間なので、搾取しても問題は無いと思い込みます。

一般の犯罪者にも在りますが、自分の犯罪を「善い行いなのだ」と正当化します。

 

神父もただの男性です。性欲もあるし、出世欲も在ります。

神父の性犯罪を防ぐには、やはり教育だと思います。

性欲が、神への帰依をさまたげるなら、還俗する勇気を持つべきです。

神への忠誠を徹底して、神父の規律を厳格にします。

その上で、神に適わないなら、世俗に戻るのは悪い事では無い、と教育することです。

性犯罪を起こしたり、間違った心境のまま、聖職者の地位にとどまるのは

教会にとって大きな罪になるでしょう。性犯罪者予備軍や出世欲に心が曇る人間を

神父には出来ないのは当然ですから。

 

この神父の性犯罪の罪は、強姦してしまったという現世的事実以上に、

大きな罪があります。とても大きな罪なので、神父の立場にある人間が、

一度でも強姦や虐待を犯してしまったなら、永遠に神の前に立てないと覚悟するべきです。

それでも、性犯罪に至るなら、悪魔に魂を売っているのでしょう。

 

この問題で、もっとも大きな罪は、聖職者であるにも関わらず、

目前の弱者を救えなかったことです。

キリストに帰依する者であるなら、弱い者を救うのは義務です。

弱い者達は、人間的に劣っては居ません。みな神の愛を受けて生きています。

その神の愛をもつ者達を搾取し、その魂を卑しめては行けません。

強姦罪は、刑に服し、被害者に償えば、現世的には解決しますが、

神の愛を冒涜する罪は、神が許さない限りはどうにもなりません。

 

同様の理由で、強姦や虐待以外にも、神の愛を蔑にする罪はたくさんあります。

日常の中にたくさんあります。例えば、家族が愛と敬意を持って接しているのに、

それを無視して文句ばかり言う父親や、店員の誠意を持った接客を馬鹿にして

クレームばかり言う客など。相手の魂を卑しめる言動はすべて、神に背くものです。

相手の人間は、ただの人間ですが、その愛は神から来るものですから。

 

私自身は、もちろん性欲は在りましたが、研究に集中すると忘れました。

なにしろ、研究に魂を掛けていたので、性欲は二の次でした。

ですから、性欲に負ける神父の心境は理解できません。

一般人から見ると、異常かも知れませんが、執筆に集中すると忘我の状態になりました。

下世話な話ですが、集中のあまり、トイレに行くのを忘れて、膀胱炎になりました。

性欲で悩む同僚の神父をみて、精進がたりないのだと思いました。

 

イエス様の教えは、愛、です。

愛は、だれか特別の人間が与えるものではなく、みながそれを行えるのです。

愛があれば、犯罪の加害者と被害者にはならないでしょう。

教会の中だけでなく、家庭内でも、愛を忘れると、

家族間で加害者と被害者の関係に陥るでしょう。世俗の暮らしは難しいですね。

 

性欲が抑えられないものは出家しないことです。それに着きます。

 

(性犯罪者のほとんどは男性で、犯罪者全体の三分の二も男性ですから、

 女性聖職者を増やせばいいんじゃないの?)

 

 

トマス神父、

今度は、イデア論とかふっかけてみよう。。。

 

 

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