わたしたちの視覚には「色」がある。だから、色があるのは当たり前と思うかもしれないけれど、色覚を持たない動物も多い。なぜわたしたちには色覚があり、どのように進化してきたのか。魚類から霊長類まで、広く深く色覚を追究している河村正二先生の研究室に行ってみた!
(文=川端裕人、写真=内海裕之)
色覚に関係する視物質オプシンには、大きく分けて5種類あり、それらは脊椎動物の共通祖先の時代には出揃っていた。
進化の初期の段階で、だいたいのレパートリーが出揃って、その後、刈り込まれていくような現象は、よく聞く。約5億年前に起きたいわゆる「生命のカンブリア爆発」では、生物の進化の歴史の中でも特筆すべき多様性が花開き、後に刈り込まれていったとされる。
多様なレパートリー
見せていただいた「脊椎動物視覚オプシンのレパートリー」の表がとてもおもしろい。
「4種類の錐体オプシンと、1種類の桿体オプシンということで、5種類。それらを、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類、そして、哺乳類の中でも特に霊長類で、どんなものを持っているか表にしています。『○』をつけているのはそれを1個持っているという意味で、『◎』にしているのは、同じ型でも2つ以上の微妙に違ったサブタイプを持っている場合です。そうすると、魚類はすべて『◎』で多様な色覚を発達させたのがわかります。それと、哺乳類を除く四足動物は基本的にこれらを1個ずつ持っている4色型ですね。先祖代々のセンサーをずっと大事に1個ずつ維持していると。ただ、両生類だけ緑型のオプシンが見つかっていません。これは単に見つかっていないのか、本当になくしちゃったのかは、まだわかりません」
ここで際立つのは、とにかく魚類の色覚を司るオプシンが多様であることと、哺乳類以外の脊椎動物はだいたい4色型の色覚を持っていることだ。
哺乳類についてもうちょっと詳しく見ると、いったん緑型と青型をなくして、2色型になってしまったことが分かる。また、さらに霊長類は、いったんなくした緑型を、赤型のサブタイプとして新たに創りだしたことや、紫外線型だったものを青方面に寄せて青型のように使っていることなども。
ここでは、魚類の持つ多様な色覚の話に進む。
「どうして魚類がそれだけ各タイプを多様化させるのかということですが、それは水中の光環境が非常に多様だということであろうと考えています。水深によっても届く光の波長がずいぶん変わってくるし、大洋とか深海溝でも違います。バイカル湖みたいな非常に広くて深い、透明度も高いような環境と、河川、ふつうの湖とか沼というところでも、透過できる波長や水深がまったく違ってきます。海ですと、だいたい400数10ナノメーターくらいの光が最も透過性がよくて、あとは吸収されたりしちゃう。目に飛び込んでくるのは残った波長だけだから、海は青っぽく見えると。湖や川の水が何となく緑っぽく見えるのは、より長波長にシフトしていて、それは植物プランクトンとかいろいろなものが混ざっているからですね」
色覚の起源は、浅瀬で明暗が変わりやすい環境だったという話があったけれど、ここでは魚類というグループとして見た時の環境の多様性が、色覚の多様性を維持している、みたいな話だと理解した。個々の種では、それほどではなくても、魚類全体では、いろいろな色覚があるのだろう。いかにも、ありそうなことだ。
などと、思っていたら、実は同じ種、それどころか個体レベルでも多様な色覚がある! ということがすぐに判明した。
海と川それぞれに
「ウナギとかサケみたいに、海と川を行ったり来たりするものもいますよね。彼らは、海にいるときはより短波長のセット、川に来たらより長波長のセットに切り替えたりするんですよ。網膜上に発現してくる視細胞が違ってくる、と」
これは、すごい。
たしかに海と川で周囲の光が違うなら、それぞれに最適化した視物質のセットを持った方が有利だろう。それを実際にやっているとは!
魚類の色覚の神秘はそれだけではない。河村さんみずからの研究室で手がけている研究でも、非常に面白いことがわかっている。
「魚類と一口に言ってもいっぱい種類がありますけど、僕たちのところでやっているのは、まず骨鰾類(こっぴょうるい)。コイとか金魚とかが入るグループで、ゼブラフィッシュというのを特に研究をしています。
それと、棘鰭類(きょっきるい)というグループがあって、メダカとかグッピーとかトゲウオなどが入っています。ここからメダカを特に選んでいます。ゼブラフィッシュもメダカも、実験動物として非常によく研究されていて、遺伝学や発生学のいろいろな実験ツールが使えるというメリットがあるし、世代時間も比較的に短くて飼育しやすい。骨鰾類と棘鰭類が分岐したのは、かなり昔でだいたい2億5000万年くらい前ですので、この2つを調べることでかなり広く魚類の一般的なところに迫れるかもしれないと思っているわけです」
ゼブラフィッシュもメダカも淡水の魚だ。ウナギやサケのように海水と淡水を行き来することはない。とすると、比較的シンプルな生活史で、視物質のレパートリーもそれほど複雑なことにならないんじゃないだろうか。
再構成して測る
河村さんたちはオプシン遺伝子の種類を確認するだけでなく、遺伝子を転写したRNAを網膜から抽出して、実験室で視物質(タンパク質オプシン+色素レチナール)を実際に再構成した。そして、吸収波長を測った。
「ゼブラフィッシュは、吸収波長の違う赤オプシンを2種類持っていて、緑オプシンは4種類持っているとわかりました。そして青オプシンと紫外オプシンを1つずつ持っています。桿体オプシンもあります。あとで、外国の研究者が桿体オプシンをもう1つ見つけたのでオプシンは全部で10種類です。メダカは、赤2、緑3、青2、紫外線1で、それに桿体のものを加えれば、9種類。ただし、メダカの2つの赤オプシンの吸収波長は同じでした」
ちなみに、緑オプシンのサブタイプは、棘鰭類(メダカ)と骨鰾類(ゼブラフィッシュ)の系統が分岐した後に、いわゆる遺伝子重複という現象の結果、独立して獲得されたそうだ。オプシン遺伝子の配列をもとに系統樹を書いてみると、それが鮮やかに分かる。
さてさて、では、ゼブラフィッシュもメダカも、これだけたくさんの種類のオプシン遺伝子を持っていて何に使っているのだろうか。いちいち、同時に発現させているのだろうか。あるいは、サケやウナギのように、環境に応じて使うセットを変えているのだろうか。
同時に全部
河村さんの研究では、少なくともゼブラフィッシュでは、なんと「同時に全部」だ。
「見える波長の異なるいろんな種類のオプシンがあることはさっき言いましたが、ゼブラフィッシュでは、それが実際に発現していて、使われている網膜上の場所も分化しているということが分かったんです。遺伝子にラベルしておいて、どこで発現しているか分かる方法がありまして、それで確認しました」
これは概念図を見た方がいい。
ゼブラフィッシュには2種類の赤オプシンの遺伝子があるけれど、それが、ちょっと偏った「同心円状」に発現する場所が分かれている。また4種類ある緑オプシンも同様で、これは4つあるのでさらにはっきりとその傾向が分かる。
これにはどんな含意があるのか、眼球全体を縦に切ったような形で図示すると驚くべきことが明らかになった。
「魚の眼球の断面で見て、おおまかに当てはめると、こんな感じになっているんです。網膜の腹側(下側)、つまり上を見る視角ですね。それがより長波長のオプシンのサブタイプを使っていると。一方で、より短波長のやつは背側(上側)で、下を見る視角に使っている。つまり、見る角度によって色覚を変えていると。このほかに紫外線オプシンや青オプシンを持っているので、ゼブラフィッシュは基本、4色型なんですね。でも、その構成要素を変えているということで、違う4色型にしているわけですね」
いやあ、これは意表を突かれた。
言われてみれば、たしかに意味があるような気がする。水の中を泳ぐ魚にしてみると、水面方向と水底方向では、まったく光の環境が違う。それぞれ違うセンサーのセットを使って見るのは、理にかなっているかもしれない。ただし、なぜこういう分かれ方をしているのか、どれくらい魚類の中で普遍的なのかはまだよくわかっておらず、これも合理的な説明を探さなければならない、という状況だそうだ。
レジェンドたちがつなぐ
河村さんの研究チームは、どうしてこのような発現の仕方になるのか、メカニズム的な部分については、きれいに解き明かしている。「PNAS(米国科学アカデミー紀要)」という著名雑誌に論文が掲載されたほどの良い研究成果なのだが、正直、この連載の水準で追いかけるのはちょっと困難だ。思い切りざっくり言うと、遺伝子の発現を制御する「エンハンサー」の場所を特定し、わずか500の塩基配列にまで追い詰めたというに留める。
「ゼブラフィッシュやメダカの研究では、僕が研究室を構えた初期から、知念秋人くん、武智正樹くん、松本圭史くん、そして辻村太郎くんといったやる気のある優秀な学生たちが来てくれたおかげで、すごく進んだということを述べさせてください」と河村さんは付け加えた。
彼らは、ここまでの研究に心血を注いだ、河村研究室のレジェンド的な存在なのだそうだ。
つづく
河村正二(かわむら しょうじ)
1962年、長崎県生まれ。東京大学大学院新領域創成科学研究科 先端生命科学専攻・人類進化システム分野教授。理学博士。1986年、東京大学理学部卒業。1991年、東京大学大学院理学系研究科人類学専攻博士課程を修了。その後、東京大学および米国シラキュース大学での博士研究員、東京大学大学院理学系研究科助手などを経て、2010年より現職。魚類と霊長類、特に南米の新世界ザルを中心に、脊椎動物の色覚の進化をテーマに研究している。
川端裕人(かわばた ひろと)
1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、少年たちの川をめぐる物語『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、天気を「よむ」不思議な能力をもつ一族をめぐる壮大な“気象科学エンタメ”小説『雲の王』(集英社文庫)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』『風のダンデライオン 銀河のワールドカップ ガールズ』(ともに集英社文庫)など。近著は、知っているようで知らない声優たちの世界に光をあてたリアルな青春お仕事小説『声のお仕事』(文藝春秋)。
本連載からは、「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめたノンフィクション『8時間睡眠のウソ。 ――日本人の眠り、8つの新常識』(日経BP)、「昆虫学」「ロボット」「宇宙開発」などの研究室訪問を加筆修正した『「研究室」に行ってみた。』(ちくまプリマー新書)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)がスピンアウトしている。
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を配信中。
(このコラムは、ナショナル ジオグラフィック日本版公式サイトに掲載した記事を再掲載したものです)
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