<社説>名護市民投票20年 民意の原点は揺るがない


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 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設の是非を問う名護市民投票から、20年たった。

 全国で初めて住民投票の手法を使って特定基地の移設の是非を問うた。国の専権事項とされる軍事、外交問題であろうとも、自分たちに降りかかる問題は自ら決めるという自己決定権の行使であった。
 投票結果は、条件付きを含む反対が、条件付きを含む賛成を上回った。辺野古新基地建設問題で民意を示した原点である。その民意を受けて当時の大田昌秀知事は移設を拒否した。
 示された民意は国家が政策を構想する際の基本的視点とされなければならない。
 しかし安倍晋三首相は、沖縄の民意を尊重せず「辺野古移設が唯一の解決策」との姿勢を変えない。だが「唯一」は虚構にすぎない。そもそも普天間返還合意は沖縄の基地負担軽減が出発点だったはずだ。沖縄に新たに基地を負担させる計画とは相いれない。
 なぜ県内移設なのか。返還合意当時の日米両政府高官らが真実を明らかにしている。
 橋本龍太郎首相と共に返還合意を表明した駐日米大使のモンデール氏は、合意のきっかけとなった1995年の米兵による少女乱暴事件に関し「(事件から)数日のうちに米軍は沖縄から撤退すべきか、最低でも駐留を大幅に減らすかといった議論に発展した」と述べている。だが「彼ら(日本側)はわれわれが沖縄を追い出されることを望んでいなかった」と証言した。
 当時米国防長官のペリー氏は、移設先を「沖縄本島東海岸沖」とした日米特別行動委員会最終報告を承認した。移設先の決定要因は「安全保障上の観点でも、軍事上の理由でもない。政治的な背景が原因だった」「(移設先の決定には)日本政府の政治的な判断が大きく関わっている」と明言している。
 返還合意時の官房長官梶山静六氏は、移設先が沖縄以外だと「必ず本土の反対勢力が組織的に住民投票運動を起こす」と書簡に記している。基地という犠牲を沖縄だけに強いるのは軍事的、地理的必然ではなく、国内の政治状況を優先しているからだ。
 当然、米国にも大きな責任がある。普天間飛行場は沖縄戦の最中、住民を収容所に隔離して米軍が勝手に建設した。これは私有財産没収を禁じたハーグ陸戦条約違反だ。国際法に背き占有しておいて「返還するには代替地をよこせ」と要求するのは、筋が通らない。普天間飛行場は即時無条件で返還すべきなのだ。
 民意は今も揺らいでいない。今年10月の衆院選は1~3区で辺野古新基地建設反対の候補が当選した。2016年の参院選沖縄選挙区、14年の名護市長選、知事選、衆院選も反対が明確に示された。
 住民投票を使って顕在化させた市民の意思を、国家が無視するのであれば、民主主義の否定である。