「終わらせて」続く怒りや苦悩 名護市民投票20年


この記事を書いた人 Avatar photo 大城 誠二

 【名護】米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設の是非を問う、名護の市民投票から20年。市民投票を振り返り、当時選択した答えと、現在の心境について名護市民に話を聞いた。市民からは「政府のやり方に怒っている。子や孫のためにも基地は造らせたくない」という以前と変わらず強い決意がある一方、「基地の話はしない」といまだに反対とも賛成とも言いづらく、新基地建設の是非が市民に重い負担を負わせ続けている状況が浮かび上がった。名護市内の自宅や街頭で、11~16日にかけて声を拾った。

 当時反対票を投じた市二見区の60代男性は「基地は反対だが、造るなら早く決着をつけてほしい」と述べた。今も当時も反対の久志区の男性(80)は「反対してもどうせ現状は変わらないという思いもある。止める方法があるのかも疑問」と胸の内を語った。

 三原区に住む60代の男性は、かつて賛成に投票した。今も思いは同じだ。理由として「首相が基地の県外移設を掲げてもできなかった。反対してもなくなる可能性は低い」と指摘した。

 軍用地を持つ豊原の70代男性は「子の進学などがあり経済的なメリットを優先したが、米軍の事件事故が起こるたびに選択が正しかったのか自問自答する。完全な賛成なんているわけがない」と話した。

 住民投票では「誰かが引き受けるしかないなら」と賛成に票を投じたが、今の心境は反対と答えたのは瀬嵩区の60代女性。「安部にはオスプレイの墜落もあった。ここで事故が起きないとは言えない」。しかし20年たっても変わらない現状に「どうしてもここに造らないといけないなら…判断が難しい」と目を伏せた。

 辺野古区に住む80代の女性は、当時住民同士が敵対したことを振り返り、家の前を避け、口をきかない人もいたという。「今は表だって意見を言わないが、どこかいがみ合っている」。今も住民にしこりが残っている。

 【名護市市民投票】1997年に米軍普天間飛行場の移設先として名護市辺野古沖が候補地に挙がったことを受け、名護市民にその是非を問うために実施した。当時の比嘉鉄也名護市長は原則基地反対を訴えながらも、移設計画に明確な態度を示さず那覇防衛施設局の事前調査を容認。比嘉市長に不信感を抱いた市民は、97年6月に「市民投票推進協議会」を立ち上げ、住民投票条例制定に必要な署名758人(有権者の50分の1)を集め始めた。わずか1カ月で有権者の過半数を超える約1万9500筆を集めた。投票の結果は反対票が1万6639票、賛成票が1万4267人。2372票の僅差で反対票が賛成票を上回った。